最初は憎み、次第に慣れ、最後は頼るようになる。
『ショーシャンクの空に』
筆者は今では殆どテレビを見なくなってしまったが、昔はかなりのテレビっ子であった。
毎週楽しみにしてたのは「世界まる見え」等、世界の色々な出来事を放送していた番組。
その中で特に待ちわびていたのが、脱獄犯のドキュメンタリー特集だ。
常人では思いつかないような手段で脱獄する知能犯の犯行ならなお良し。
刑務所に入れられるのだから、脱獄犯は皆犯罪者である。
しかしそれでもなお、脱獄犯には不思議な魅力がある。
皆がアイドルやらスポーツ選手に憧れている中、俺はひとり犯罪者達に憧れていた訳だ。なんとも変わった子供時代である。
何故魅かれるのか当時の自分に解るはずもなかったのだが、今なら解る。
それは、自分自身が脱け出したいのに脱け出せない囚人であったからだ。
そして今現在も脱け出そうとして足搔いている。
いや、これは俺が刑務所に入れられていたとか、監禁されていたとかいう話ではないですよ。
幸か不幸かその様な経験をする事なく普通に生活してきました。
牢屋に入れられた訳でもなく、手枷や足枷を着けさせられた訳でもない。
それでもやっぱり牢獄にいれられていた。
家庭と言う名の牢獄だったり、学校や会社いう牢獄だったり、
常識や世間の目という足枷に繋がれていた。
そういった物から解き放たれて自由になりたいという思いが常にあったのだ。
だからこそ、諦める事無く牢獄から抜け出そうとする彼らは俺の英雄だ。
うちのばあちゃんは、もう1人暮らしができる体ではなくなり、
施設に入れられる事になった。家族でその施設に行った時の話だ。
そこは階の中央に食事や催し物をする大きなホールがあり、
そのホールを囲む様にそれぞれの部屋が配置されている。
そこで集団生活を送っている訳だ。
俺は外に出てタバコを吸う為、
その階唯一の出口であるエレベーターのボタンを押した。
所が何の反応も無い。ボタンを押しても押してもボタンが光らない。
そしたらそれを見ていた職員の人が駆けつけてきて、
「あ、すいません。今開けますから」といって、
何かをポチポチ弄っていたらエレベーターがやってきた。
どうやら、職員の人が何かをしないとエレベーターは使えないみたいだ。
後から聴いた話によると、老人達を外に出させない為にそうなっているらしい。
そうでないと、夜中に勝手に徘徊して事故にあったり、
ちょっと散歩して道が解らなくなり帰ってこれなくなる事例が発生する。
最早外の世界では生きてはいけないレベルの老人がいる。
この施設から出たら生きてはいけない。
だから閉じ込めなくてはいけない訳だ。
これを聞いて俺は心底ゾッとした。
まるで囚人だな、と。
いや、まるで、ではない。最早囚人そのものだ。
あの施設のあの階が、そこに住んでいる住人の世界の全て。
あの小さな世界で残りの人生を過ごすのかと思うと、本当にゾッとする。
他人事の様に眺めていたが、ふと我に返る。
結局俺も、あそこの老人と何も変わらない囚人ではないか、と。
その時思い返してたのは、ニート時代とブラック企業時代だ。
俺は一日中何もしないニート期間と、
一日中働き続けるブラック企業で働いていた期間の、
両極端な期間を両方体験している。
両極端でありながら両者に共通しているのは、
どちらも牢獄であったという事だ。
ブラック企業が牢獄というのは説明不要だろう。
俺が働いていたのは1日13時間から14時間の労働を週6日。
そこに俺の意思が介入する余地はない。
働きたかろうがなかろうが、
会社が決めた日時に従って毎日の様に働かねばならない。
年末などは、代休無しの周7日労働で毎日の様にどころか毎日働いた。
「働いた」ならまだいいが、正確には「働かせられた」だな。
家と職場の往復が、俺の世界の全て。それ以外の世界は存在しない。
俺の人生計画は会社が全て決め、俺はそれに従うのみ。これを囚人と言わずして何というのか?
一日の計画は全て職員が決め、
それに従うだけの施設の老人と何が違うというのか?
ニート時代も牢獄であった。
何をやってもいいはずなのに、何も出来ずに引き篭もっている。
働かずに飯を食うのも憚られ、生存ギリギリの飯だけを頂く。
皆が働いている時に1人だけ遊びほうけて、と言われる物だから遊んだりもしない。
ガソリン代も無いから、2本の足で行ける範囲が世界の全て。
ドンドン行動範囲が狭くなり引き篭もりが加速していく。
真冬になっても、まさかストーブを使う訳にもいかない。
なので真冬になると、一日中布団の中から出ずに生きてました。
しかも何もしてないと眠くなるので、一日の半分以上は寝て過ごす。
人間なのに冬眠状態。最小限の消費で生き抜く術を覚えましたね。
別に勝手に灯油を頂いても親から嫌味を言われるだけだが、
それすらも出来ない状態。
親に生存与奪を握られ、許可が無くては何も出来ない。
許可が無くては何もできない囚人と何が違うというのか?
このニート時代を思い出していたら、
今こうやって暖かいストーブにあたりながらブログを書ける事が、
物凄く幸せな事に思えてきました。
東北の冬は寒いです。
そんな環境に居るならさっさと自分の意思でそこを出ればいいではないかと思われるかもしれないが、どんな劣悪な環境であれ長い間そこにいると、今度はそこから脱け出す方が恐ろしい事になる。
その事を実に上手く言い表したのが、記事冒頭に引用した言葉。
この「ショーシャンクの空に」という映画は、主人公が無実の罪で刑務所にいれられ、そこからの脱走を描いた名作映画です。
映画内で、主人公に刑務所内のイロハを教えてくれる古参囚人がいる。
刑務所は脱走不可能な壁で囲まれている。
その壁について、この古参囚人が主人公に語ったのが冒頭の言葉。
「最初は憎み、次第に慣れ、最後は頼るようになる」
自分を閉じ込める壁を誰もが最初は憎み、脱走を試みる。
ところがいつの間にか慣れてしまい、最後は頼るまでに変化する。
映画内で、人生の半分以上を刑務所で過ごした老囚人の話が出てくる。
そのおじいさんは、刑務所内では知らぬものはいない人気者だ。
所が、外の世界には彼を知る物は誰もいない。
そうでありながら、刑期が終わり外の世界に放り出される事になった。
たった一人、頼れる人間も居ないまま老体にムチ打って働かなくてはいけなくなった。
今までの人生で築き上げてきたものは全て刑務所の中にある。
刑務所に戻るため、再び罪を犯す体力も度胸も老体には残されていない。
そのおじいさんは自殺した。
誰もが出たがる刑務所の壁だったはずが、
いつのまにか生きていく拠り所にまで変化する。
もうそのおじいさんは壁の外では生きていけない。
ブラック企業に勤めていた時も、
「こんな所さっさと抜け出してやる!」という思いと、
「外に出るのは怖い!」という思いが常に混在していた。
いつの間にか、壁の外にでたら生きていけないとまで思い込んでいたのだ。
しかし長く居れば居るほど、抜け出せなくなる事も解っていた。
結果として、そこを辞める決断は振り返ってみても最良の決断であった。
周囲の人間は勿論止めてきた。
「こんな言い職場はないぞ」とか、
「石の上にも三年って言ってだな」とか。
しかしこれらは、壁の外に出る事を諦め、壁に頼り切った人間の言葉だ。
俺は壁の外に出ると決めた。ショーシャンクの空の下へ向かうのだ。
因みに上司の一番好きな映画は「ショーシャンクの空に」だった。
彼もこんなブラック企業から抜け出る事を夢見ていたのだろう。
なので別れる時は、「いつかショーシャンクの空の下で会いましょう」と言っておいた。
どうやら意味が伝わったらしく「ああ、いつの日か会おう」という返事が来た。
そうやって自分の意思で壁の外に出てきた。
所が不思議な物で、壁の外に出たら無限の荒野が広がっている訳ではなく、
また新しく壁に囲まれた別の牢獄に入っている。
こっちは前よりも居心地がいいとはいえ、
いずれ壁に頼る様になってこの中でしか生きていけなくなる危機感が募る。
なのでまた新しく壁の外に出る用意をコツコツと準備中である。
そこから抜け出たとしたら、今度もまた新しい壁に囲まれるんだろうな、という事も薄々見えてきた。一体いつになったらこの旅は終わるのかと思ったが、これが自由を選んだ人間に課せられる義務だろう。
自由に生きるというのは、世間一般で声高に叫ばれる様な素晴らしい物ではない。
実にしんどく、実に苦しく、実に気の抜けない生き方だ。
しかしそれでもなお、自由を求めて壁の外に向かう生き方しか出来ない人間も居るのだ。
どんだけきつくても、壁の中で家畜の安寧を貪る生き方には戻りたくない。
人間として生きて生きたい。今はその為の度の途中だ。
ショーシャンクの空はまだまだ遠い。
それでは、次回の記事まで御機嫌よう。