筆者が本を本屋で買う理由

気付いたらいつの間にか無くなっていた物の一つに、街角の本屋がある。
昔はどこの町にも一軒くらいは小さな本屋があったものだ。
しかし今では個人経営の小さな本屋さんは殆ど見かけなくなったし、
あったとしても虫の息だ。

大体予想がつくのであるが、
その様な状態になった一番の原因はアマゾンの存在だろう。
小さな本屋では物理的な制約から、置ける本が限られる。
欲しい本が見るかるよりも見つからない事の方が多いだろう。
わざわざ足を運んだのに見つからないくらいだったら、
最初っからアマゾンでポチっとクリックして確実に届くほうがいい。
同じ土俵で戦ったら、小さな本屋では絶対にアマゾンに太刀打ちできない。

アマゾンにしろグーグルにしろ、
ネット時代に世界規模で成功した新しいビジネスってのは、
大量の失業者を生み出す事によって莫大な利益を生み出すビジネスモデルだ。
街角の本屋さんはこれから減る一方だろう。間違っても増える事はない。

筆者の地元である宮城では、もう大型書店くらいしか生き残れていない。
ジュンク堂と丸善と八文字屋書店ぐらいなもの。
とはいっても八文字屋書店は相当に厳しそうである。

ネットが蔓延するこの時代、本はドンドン売れなくなり本屋はどこも苦しい。
そんな中メインで売れているのはマンガと雑誌。
要するに、コンビニで扱っている本ですね。コンビニは売れる本しか置きませんから。
少なくとも、『存在と時間』を売っているコンビニは見た事がない。

八文字屋書店は、いつの間にかコンビニ化していて驚いたものです。
メインのスペースを雑誌が占領し、通常の本を置くスペースが圧迫されている。
しかも数少ないそれらの本も、背表紙ではなく表紙を並べる形で本棚に置かれているので、本棚の密度がスッカスカの状態になっている。
数少ない在庫と雑誌で生き残らなければならないほど経営困難に陥っている訳だ。
上の方に大型書店でないと生き残れないと書いたが、
コンビニ化してきたこの状態で、数年後まだ営業できているか怪しい。
自身の持ち味を殺し、わざわざコンビニと競合してどうするというのか。
少なくとも俺はもう八文字屋で本を買う事はない。買いたい本を扱っていない。

残っている大型書店はジュンク堂と丸善。
しかし俺が本を買う時はジュンク堂で買っている。
何故なら、俺はジュンク堂が無くなったら困るし、ジュンク堂を応援しているから。
どちらも大まかな品揃えは同じだ。
本屋がおくべき定番の本は大差ない。
しかしそれ以外のニッチで細かな部分。
売り上げに影響しないであろう誰が買うのか解らん代物、
むしろ置かない方がいいであろう赤字覚悟の本。
そういった細かな品揃えの豊富さではジュンク堂に軍配があがる。
宮城では両者間の距離が徒歩7分と離れていない2つの本屋なのに、
「わざわざ」ジュンク堂で買う人達はそういう本を買っている人なのではないだろうか。
少なくとも俺はそうだ。

神は細部に宿る。

お客様は神様である。

よってお客様は細部に宿る。以上、証明終了Q.E.D.

他の本屋がマンガと雑誌に力を入れてなんとか生き残ろうとしている昨今。
そんな中であえて時代の流れに逆らってマンガコーナーを撤廃し、
「より専門書に力をいれます!」と店内の張り紙でコンセプトを明言している仙台のジュンク堂。誰がコンビニ化などするものか! という本屋としての矜持を感じる。
俺が本屋に求めているコンセプトを体現している本屋だから、閉店したら困る。
だからこそわざわざジュンク堂で買っているのだ。

実は仙台のジュンク堂は2回程閉店を経験している。
一回目は東北大震災の時。
建物の老朽化により再開は無理と言われたが、
いつのまにかビルの間取りが変わって営業再開していた。

しかしやはり時代の流れは厳しかったのか、数年後にまた閉店してしまった。
当時仙台に2店舗運営していたから、実際には閉店ではなく事業縮小という形だ。
しかし、15年以上通い続けてきた老舗の店舗の方が潰れてしまった事に、
とても寂しさを感じた事を覚えている。

建物は今現在も健在しているから、
老朽化を危ぶんだのではなく単純に赤字経営で閉店したのだろう。
閉店間際の時の俺は、仕事が死ぬほど忙しくてとても本を買って読む暇もなく、
ジュンク堂はご無沙汰していのだ。
「もしちゃんと俺が通い続けて買っていたなら、潰れなかったのかな」とも考えた。

何自惚れてんだ、一個人が買い続けたって企業の赤字が無くなる訳ないだろう。
お前は自分をアラブの石油王とでも思ってんのかという声も聞こえてくるが、それは「どーせ俺が一票を投じたって政治が良くなる訳ないだろ」と言って投票にいかないような物。
確かにたった一票では変わらないのかもしれないが、個人でやれる事はやるべし。
俺の場合、ジュンク堂に一票を投じない無投票の状態を続けていたら、
いつの間にか閉店という一番望ましくない政策が実施されてしまった訳だ。

自分が続いて欲しいと願っている店があるなら、そこに金を落とさなくては続かない。
ジュンク堂が無くなって、もうコンビニ化した本屋やアマゾンでしか本を買えなくなったら困る。
まず、コンビニで俺が欲しい本は売ってない。
アマゾンなら実質無限の在庫を抱える事ができるわけだから、どんな本でも買えるだろう。
しかし、俺は本は現場で買いたいのだ。
実際にパラパラと立ち読みして、内容だけではなく、
文体の相性がいいかも確認してから買いたい。
長くつきあっていける本なのか吟味しておきたいのだ。

アマゾンの検索機能は実に便利だが、
この検索機能ってのは当然「自分の知っているキーワード」でしか検索できない。
本屋をウロウロして、普段自分がいかないコーナーで全く未知の新しい世界が開ける出会いもない。
関連書籍が出てくるのは便利だが、出てくる本は深くて狭い。
俺は本はアマゾンではなく、足を使って本屋で買いたいのだ。
もしも皆が皆、アマゾンで買い始めたら、ジュンク堂いえども簡単に潰れてしまうだろう。
それは困るから、俺はジュンク堂で買い続けている。

古書店についてもそうだ。
昔は大学の周辺には必ず古書店があったそうだが、
仙台で俺が買いたい本を扱っている大学周辺の古書店は2件のみ。
後は、仙台の中心部からかなり外れた所に仙台最大級の古書店である「萬葉堂書店」がある。
ここは本の価値が解っている素晴らしい古書店です。
凄い貴重な本でも、ブックオフに行ったら10円20円で買い取られる本というのがある。
そんな本を持っていたとしたら、間違ってもブックオフには売らないですよね。
だからその手の本は、ブックオフには流通しない。
そういう本が欲しかったら、宮城ではこの萬葉堂に通うしかない。
もしここが潰れたら、バカ高い交通費や時間をかけて神田の古本屋にいかなくてはいけない。東京は遠いです。
萬葉堂が閉店したら困るので、無職時代の時ですら毎月ペースで買っていたものだ。
単純に求職活動から逃避したかっただけとも言えるがそれは言うまい。

もし皆が皆アマゾンだけで買い続けていたとしたら、
ジュンク堂や萬葉堂は潰れる方向に進むのだろう。
そんな事になったら本屋をウロウロ歩いて一日中物色したり、
じっくり立ち読みして吟味する楽しみがもう味わえなくなる。
俺のたった一票では変わらないだろうが、
それでもささやかな抵抗として応援する本屋に一票を投じ続ける。

自分が理想としている世界。
自分がより楽しく生きていける世界。

それらを実現してくれたり、体現している会社やコミュニティや個人に対してお金を払う。
それが現代という時代の「投票」です。

それでは次回の記事までごきげんよう。

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