チャンスを掴め? 掴むだけでいいのかい?

「譬えば錐の嚢中に処るがごとし。その末たちどころに見る」
「臣すなわち今日嚢中に処るを請うのみ」

司馬遷『史記』~平原君列伝~

今回取り上げるのは、中国の歴史書である史記から、
かの有名な(有名か?)嚢中之錐のエピソード。
嚢中之錐、読みは「のうちゅうのきり」です。
本文に入る前に、中国思想のあれやこれやについて解説していきます。
というか解説していきたい。
中国古典は長年読み続けてきたので、語りたい事が山ほどある。
独学とはいえキャリアは18年だ。

人類の歴史において、
哲学者・思想家がわっさわっさと輩出されまくった時代が2つある。
古代ギリシャと古代中国だ。
この2つの時代の共通点は何かというと、「言論の自由」と「圧倒的な余暇」の2つです
植物が育つには水と土と日光が必要なように、
哲学者が育つにはこの2つ、言論の自由と圧倒的な余暇が絶対に必要なのです。
これが無かったら枯れてしまう。

そもそも哲学はどういう人が生み出すものなのか説明を。
もし誰かに「あなたが欲しい物は何ですか?」と聞いたとしたら何と答えるか?
それこそ文字通り十人十色で人それぞれの答えが返ってくる。

飢え死する寸前の人間に聞いたら食べ物が欲しいと答えるだろうし、
孤独な人に聞いたら友達が欲しい恋人が欲しいと答えるだろし、
毎日銃弾が飛び交う場所に住んでいたら安全が欲しいと答えるだろう。

なら、それらの欲求が叶ったとしたらもう欲しい物はなくなるかと言うとそんな事は無く、
また新しい欲求が出てくる。「○○さえあればもう他には何も要らない」と言ってたのに。
その新しい欲しい物も、人それぞれでバラバラな答えが返ってくる。

ならば、だ。

次から次へと出てくる欲求を全部満たしたとしたらどうなるか。
人類共通で最後の最後に出てくる欲求はあるのか。
その最後にでてくる欲求が哲学です。つまり、知りたい、という欲求。
言うなれば哲学というのは、人生の贅沢品な訳だ。

一文無しで数日以内に飢え死するかもしれない人間が、
「お金とは何か?」「生きるとは何か?」「仕事を通して私は何を為すか?」
なんて考えている余裕は無いですよ。
こういった質問を考えられるのは、それらがある程度満たされているから出来るのです。
毎日生きる事に精一杯で、日々の生業をこなすだけで一日が終わってしまう人間が、哲学をしている余裕は無い。
スクールの語源はラテン語のスコラ(退屈)であるが、実に上手い事を言った物だ。
哲学ってのは動物として生きていく為に時間を使う必要が無い暇人がやる事なのです。
哲学をするには、自由に使える時間、有り余る余暇が必要。

その意味において、近代以降の真の哲学者はショウペンハウエルだと思っています。
父親の遺産のお陰で、日々の生業に追われること無くひたすら哲学研究に没頭できた。
生活費を得る為にスポンサーや読者の顔色を窺う必要もない。それ故あの毒舌である。金の為に働く必要が無いので、勤めた大学もたった一年で辞めている。俺よりも根性無しだ。

哲学が育つ為のもう一つの条件である言論の自由については、
特に説明する必要はないですね。
国家が「正解」を全て与え、それ以外は危険思想とみなす独裁国家だとしたら、
誰がその「正解」以外の事を考えたり、ましてや公表したりするものか。

言論の自由と圧倒的な余暇の2つを満たしたのが、古代ギリシャと古代中国。
ギリシャは奴隷制度により、市民階級は一切働く必要が無かった。
中国は食客として雇われさえすれば、
有事の際以外は何をする訳でもなくのんべんだらりと過ごしていられた。
この食客とは何かこれから説明を。

歴史の教科書で中国の王朝を覚えさせられた人は多いだろう。
殷、周、秦、漢、随、唐・・・・・・・・・・・・と。
ところが、この周の時代から秦の時代へは一気に移り変わったのではない。
この間には、120もの国家に分かれて覇権を争う春秋時代があり、
その120のから淘汰された「戦国の七雄」と呼ばれる七ヶ国で争った戦国時代がある。

そんな過酷な生存競争で生き残るにはどうしたらいいのか?
やるべき事は人材確保だ。
優秀で有能な人材を、他の国よりも多く集める事。
素晴らしい先生を他国からヘッドハンティングしたり、
埋もれている人材を多く発掘した国ほど有利になる。
いつの時代でもやっている事は同じですね。
そしてその様な先生を養うかわりに、色々と助けて貰うのが食客という風習です。

平民達も、先生として買われれば破格の立身出世だ。
なのでこぞって学問を研究し、自身を売り込もうと全力で頑張る事となる。
それ故この時代にはありとあらゆる学問分野が発達し、
「諸子百家」と呼ばれる程の思想家を誕生させる事になる。

そして今回の記事で取り上げるのが、
食客を千人以上抱えていたといわれる趙の平原君と、
その食客毛遂(もうすい)のお話です。

当時趙は大国の秦との戦争「長平の戦い」で大敗を喫し、
2年後には猛攻を抑えきれず国都を包囲されるまで追い込まれた。
まさに風前の灯。
趙王は平原君を呼び寄せ、楚の国に援軍を求めるように命じた。
しかし趙は沈み行く舟で、秦は大国。
この交渉は相当難しい物になるのは火を見るより明らか。

「万一談合が不調に終わるようであれば、力に訴えてでもこの大任を果たして見せましょう」

と宣言し、千人以上の食客の中から交渉に連れて行く、
選りすぐりのエリート20人を選ぶ事にした。
ところが19人まではすらすらと決まったのだが、後一人がどうしても思い浮かばない。

そこで自ら名乗り出たのが、毛遂という男。
記事冒頭に書いたのがその時のやりとりです。

「貴公は、ここに来られて何年になる?」

「三年でございます」

「有能な人材は、たとえて見れば錐のようなもの。
たとい袋の中に置かれていても、切尖(きっさき)はたちまち現われ出よう。
ところで貴公はわしの元に身を寄せてから三年にもなるというが、
貴公の名前はついぞ耳にした事がない。
失礼だが頼りになる者とは思われぬ。おさがりくだされ」

オメーじゃ力不足だ引っ込んでろ、と言いたいのを、
メタファーを使って角が立たない様に丸め込む実に巧みな交渉術。
食客千人を抱える話術は伊達じゃない。
しかしこの毛遂という男、
それでも引き下がらずに平原君のメタファーを利用してこう返した。

「ならばその袋とやらに、今すぐ入れていただきたい。
もしもまえまえから袋の中にあれば、
切尖どころか全身抜け出ていたことでしょう」

俺の実力が発揮されてないのは俺のせいじゃなくてオメーのせいだろ、
と原因をすり替えて一気に畳み掛けるこれまた巧みな交渉術。
コンマ数秒でこの様な返しを思いつける頭のキレはただ者ではない。

実際、この毛遂という男は口先だけの男ではなかった。
楚の国王と交渉した時、やはり長引いていつまでも決着がつかない。
そこに毛遂が乗り込み一気に畳み掛け、援軍を出させる盟約を結ぶ事に成功する。
一国の王に迫り、刀の柄を握り締めながら脅迫紛いの説得をするクソ度胸。
その後実に鋭利な論理で、援軍を出すメリットを提示する頭の切れ。
秦如きに恐れるなど、楚のする事ではないという自尊心を刺激する交渉術。
今まで何で埋もれていたのかと思う程の実力を遺憾なく発揮した。

平原君が連れてきた19人の食客達は何の役にも立たず毛遂のおこぼれを貰うだけ。
この19人は一体誰なのか名前は一切残っていない。
ただ毛遂のみが、こうして今も歴史に名を残している。

この一件について平原君は、後にこう語る。

「あの時、毛遂がいなかったら今の私はいなかった事でしょう。
本当に毛遂には感謝しています。
ハハ、もう他人を評価したりなんかしないよ」

と、世界丸見え風に語った訳ではないですが、
あれこれと人を評価する事をやめたそうです。
人を見抜く目に誤りはないと自惚れていたが、
その誤りがない慧眼で選んだはずの19人が何の役にもたたず、
今まで名前も知らなかった毛遂が一国を動かす舌先三寸の交渉術を持っていた。
その後毛遂に、最上級の食客の地位を与えたそうです。

以上が「嚢中之錐」のエピソードです。
いやぁ、実に面白いですね。
こういうのが面白いと感じられるので、中国古典はやめられない。

さて。

このエピソードから、人によって色々な教訓を引き出せる事でしょう。
その人が今置かれている状況によって、様々な教訓がでてくる。

例えば、あなたが経営者など人を雇って動かす立場の人間だとしたら、
「部下が力を発揮できないのは部下の責任ではなく、
適材適所に配置して活躍できる場を用意できない自分の責任だ」
などの教訓が引き出せる事でしょう。

どのような文脈を設定するかで、どのような教訓を引き出せるかが決まる。
それこそ無数に教訓を引き出す事が出来るが、今回はその内の一つ。
「チャンスについて」という文脈で読み解いていきます。

チャンスについてよく言われている事。

「世の中には、それこそ無数にチャンスが転がっています!
後はあなたがそれを掴むかどうかです!」

確かにその通りだろう。
目と耳をしっかり開いている人なら、
それこそ日常生活を送っているだけでチャンスが次々と見えてくる。
そしてチャンスを見つけたら、後はそれを掴み取るのみ、と。
それは間違いではない。
どんなチャンスだろうと、掴もうとしなかったら通り過ぎるだけ。
チャンスを掴めるのに掴まないのは馬鹿がやる事だ、と。

しかしこれだけでは片手落ちではないだろうか。

嚢中之錐のエピソードでいうのであれば、
「袋の中に入る」のがチャンスを掴むという事であり、
「袋を突き破る」のがチャンスを物にするという事。

平原君に選ばれ始めっから袋の中に入っていたのが19人の食客。
そして、他の千人の食客全てに大任という袋の中に入るチャンスがあった。
しかし自ら名乗りでたのは毛遂ただ一人。
だからこそ毛遂はこの仕事を成し遂げる事ができた。
このチャンスを掴まなかったら、最上級の扱いを受ける食客になる事は無かっただろう。

「ほ~ら、だからチャンスを掴む事は大事でしょ」

という声が聞こえてきそうだが、この話には続きがある。
袋に入れられた20人の内、
傑出した人物として袋を突き破るだけの実力を持っていたのは、毛遂ただ一人。
他の19人は折角のチャンスを掴みとっていながら、何もできていない。
誰一人として袋を破れる切尖の持ち主は居なかった訳だ。

つまりチャンスというのは、掴んだだけで終わる物ではないのです。
掴んだ後、そのチャンスを物にできるだけの実力が必要。
袋を突き破れるだけの鋭い切尖がないのであれば、そのチャンスはあってもなくても同じ。連れていかれた19人も、結局は連れて行かれなかった千人の食客と変わる所はない。

自分の事について語るなら、
俺には今のままでは絶対に訪れないチャンスという物がある。
例えば「日本人の俺がアメリカ大統領になるチャンス」だ。
アメリカ大統領になりたかったら、先ずはアメリカという袋の中に入らなければならない。
何かの間違いで俺がアメリカ人になってしまったと仮定しよう。
輪廻転生でアメリカ人に生まれ変わったとか。
アメリカ人になりさえすれば、誰でも平等に大統領になるチャンスはある。
じゃあ俺でもなれるかというとそんな事は全然なく、なれるだけの実力が必須。
チャンスを掴める事と、チャンスを物に出来る事とは別なのだ。

漫画のドラえもんに、こんなエピソードがある。
ボクシングの世界チャンピオンになった人の話だ。
そのチャンピオンは、元は無職で街をうろつくゴロツキだった。
ある日、何気なく迷い込んだ路地で老人が不良共に絡まれていた。
チャンピオンはムシャクシャしてたので、憂さ晴らしにその不良共をボコボコする。
結果として老人を助ける形になったのだが、
その老人というのが実はボクシングジムの会長で、
スカウトされてボクシングの世界に足を踏み入れる事になる。
それを聞いていたテレビのインタビュアーがこう締めくくる。

「成る程。もし、そこでその路地に行かなかったら、
世界チャンピオンは誕生していなかったかもしれませんね」

と。
これを見ていたのび太は大いに感銘を受ける。
道一本で人生が変わってしまうのか。
世界チャンピオンになるのか街のゴロツキのまま生きるのか。
間のエピソードはごっそり割愛するとして、
その漫画の最後はどうなったのかというと、ドラえもんの説教で終わる。

「のび太君、君は間違えている!
あの人だって道一本選んだだけで世界チャンピオンになった訳じゃないぞ!
その後の血の滲む様な厳しいトレーニングがあったからこそ、
チャンピオンになる事ができたんだ!」

毛遂が平原君の下に仕えてからの三年もの間。
一体何をして過ごしていたのかの記録は一切残されていない。
しかし、度胸も頭の切れもぶっ飛んでいた事はこうしてしっかり残されている。
その実力は、優雅なニート生活で身につけられるものではないという事だけは解る。
のんべんだらりと暮らしていたであろう千人以上の食客が、
折角のチャンスを物にできていなかった中、
ただ一人毛遂だけがチャンスを掴み、物にし、最上級の待遇を手に入れた。
口先だけではない実力があったからこそだ。

今の自分が袋の中にいるのか袋の外にいるかはあまり問題ではない。
何故なら、どっちにしてもやるべき事はたった一つしかないからだ。
自分がやるべき事はいつだって、袋を突き破れるだけの切尖を身につける事だけ。
つまり、自分を磨き上げて鍛え続ける事。それしかない。

それでは、次回の記事まで御機嫌よう。

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