安易なポジティブシンキングが行動に繋がらない理由

以前、活動主義は、楽観主義と結びついていましたが、こんにち、活動主義の前提になっているのは悲観主義なのです。

フランクル 『それでも人生にイエスと言う』

近代思想の核になっている思想の一つに、進歩史観がある。
これは何かというと、その名の通り歴史は進歩していくという考え方であり、
現代人の無意識に根付いている。

例えば、今使っているパソコン。
昔使ってたパソコンよりも、今使っているパソコンの方が高性能だ。
そして、未来のパソコンは今のよりも更に良くなっているだろうと、「当然の様に」思っている。
未来のパソコンが今よりも処理速度は遅いは容量が少ないはなんて事態は想像しにくい。
未来はきっと今よりも進歩しているはずだ、と無意識レベルで考えている。

未来はきっとよくなっている。
昔は石ヤリと石オノ持ってウッホウッホ叫んでいただけの原始人が、
今ではここまで理性と知性を身に付けここまで進歩してきた。
そして未来はもっともっと進歩しているだろう、という思想。

未だにジャングルで狩猟採集をしているのは「遅れている」民族で、こうやって文明の利器に囲まれた優雅な生活をしているのは「進んでいる」民族だ。という、レヴィ=ストロースが聴いたら眉をしかめる考え方を進歩史観といいます。

この思想が、近代化を促進させた。
やればやるほど未来は良くなる、頑張れば頑張る程進歩する。
だったらそれはもう、やるっきゃないよな、という話だ。
やればやるほど駄目になるとしたら、誰が行動を起こすものか。

しかしだ。

近代まではそれで良かった。
歴史は進歩するという思想を、盲目的に信じて行動する事ができた。
しかし現代は最早そういう時代ではない。その進歩する歴史はもう終わったのだ。そこら辺の説明については、フランシス・フクヤマのそのものズバリなタイトル『歴史の終わり』に任せるとして記事に戻ります。

現代人は最早何もしなくてもバラ色の未来が待っているなんて事は信じていない。
先の見えない未来にいつも怯えるハメになっている。
しかもその未来はどうも明るいものではないらしい、という予感と一緒に。
信じられるのはせいぜい技術の進歩くらいな物である。
5年後のスマホはきっと想像もつかないような便利な物になってるんだろうな、と。
むしろ5年もたったら「あの人未だにスマホなんて古臭い物使ってるよ、プークスクス」と、
未だにケータイ使い続けている現在の筆者みたいな扱いになるかもしれん。
いや、そもそも人前でケータイ弄る習慣は無いからケータイを馬鹿にされた事は無いですけどね。

そして技術の進歩以外の部分。
自分の人生や、住んでいる社会がこれからも進歩し続けると盲目的に信じる事はもう無理だ。
かつての近代はやればやるほど進歩するという楽観主義が、人間の行動力を支えていた。
しかしその進歩史観があてはまらくなった現代において楽観主義がもたらす物は「行動しようがしまいが、未来は何も変わらない。だったらなるようになればいい。何がおきても楽観的に、ポジティブに受け入れようじゃないか」という宿命論をもたらすのみ。
現代の楽観主義に行動をもたらすエネルギーは無い。
それ故、記事の冒頭に引用したフランクルの言葉が生まれてくる。

かつての行動主義は進歩史観に支えられた楽観主義とセットだった。
しかし現代において、行動主義の原動力となっているのは悲観主義なのだ。
「やればやる程良くなっていく」ではなく、
「何もせずにいるとドンドン悪化していく」という悲観主義でしか行動は起こせない。
もはや盲目的に、いうなれば宗教的に信じられる進歩というのがなくなってしまった時代なのだ。
何がどれくらい進歩するのかというのは、全てひとりひとりにかかっている。
しかもその際、意識しているのはひとりひとりの内面の進歩しかないという事。

もし今現在行動が起こせないとしたら、それは現状に満足しているからに他ならない。
今の生活に満足で、これからもこの生活が続くと「楽観的に」考えていたら行動なんて生まれない。
勿論、その生活をこれからも続けて生きたいというのであれば、それでいい。
バラ色の宿命論を受け入れるというのも一つの選択肢だ。

しかし、現状をなんとかしたい、今の人生を変える為に行動を起こしたいと考えているのであれば、楽観主義でいる限り何も変わりはしない。
近代人ならともかく、現代人である我々は悲観主義でしか行動を起こす事ができません。
そうでありながら、成功哲学などでは行動をもたらす為に何が言われているか? 良くあるのが「願望を達成した自分の姿を鮮明にイメージしてモチベーションを高めましょう」みたいな事を言われる。

だからいつまで経っても行動に移せないのです。

どれだけビジネス書を読み込んでも行動に繋がらなかったら、人生変わりませんよ。
おかしい! あんなにもスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業スピーチを聞いているのに! と嘆く事になる。そういやそのスピーチの3番目でジョブズが死について述べていましたね。ジョブズでさえ、いずれ来る死という絶望がなかったら行動を起こせない。
しかるをいわんや我々においておや。

願望や目標を達成した自分の未来の姿をいくら思い描いて欲望を刺激しようとも、行動にはつながりません。行動に繋げたかったらそんな大地に根付いていない妄想なんかではなく、しっかりと地に足着けたイメージをする必要がある。
地に足着けたイメージとは何かというとだ
起こるかどうか誰にも解らないあやふやな「未来」ではなく、確実に、100%起きた自分の「現状」を先ずしっかり把握する。それを細かく具体的に、詳細に把握する事が地に足をつけるという事。その地に足を着けた状態がスタート地点。そこから未来を予測する。

未来を予測する事は可能か? という問いには可能だ、と答えている。
物事をしっかり見極める目と理性の持ち主なら未来を予言する事はできる。

ニーチェは「ニヒリズムの時代が来る」と予言しその通りになった。

オルテガは「大衆は反逆する」と予言しその通りになった。

フロムは「人間疎外の時代が来る」と予言しその通りになった。

どうも識者の目を持ってすれば未来を予言する事は可能らしい。
自分もそんな事ができたら楽しいなとは思うが、生憎そんな能力は持っていない。
なのでどうやったら世界の未来を見る事が出来るのかという事を教える事はできないし、
むしろ自分が教えて欲しい。

しかしだ。
世界規模の予測は無理だったとしても、自分自身の近い未来を予測するなら簡単な方法がある。
それは、自分の先輩の姿を見ればいい。

例えば、会社勤めだったとしたら、自分より5年早く入社している先輩を観てみればいい。
それが5年後の自分の姿だ。
20年早く入社している先輩を観たなら、それが20年後の自分。
会社が用意した道を先輩と同じようにに歩き続けると、そうなる。
もしあなた自身が「誰がそんな道を歩くもんか!」というロックンローラーでも無い限り、
あなたもあなたの周囲の環境も、その先輩と同じような人間になるように作用する。
それが理想というのであれば、その道を歩めばいい。

「俺、先輩の事マジリスペクトしてるッス!」とか、
「私も上司の様な立派な人間になりたい」とか、
その様に心の底から尊敬できる人がいるのはとても幸運な事です。
自分も先輩みたいになれるかな、と心配になるかもしれませんが、なれます。
そのような環境にいるのだから、先輩が残してくれた道を歩けばいいだけ。

しかし、絶対に先輩みたいな人間にはなりたくない、というのであれば話は別。
それが5年後10年後の自分の姿。
それを知ってしまったら、もう今の生活を根本的に変えるしかない。

この未来予測の効果は抜群です。
筆者がブラック企業で働いていた時の話だ。
ある日ふと気付いてしまった。ここで働き続けるとどうなるのかという事に。
既にこの会社で何年何十年と働き続けている先輩の姿が自分の未来の姿。
ここで働き続けると、間違いなく先輩みたいになる。

それを知ってしまたった時、心底ゾッとした。
成功哲学で薦められる「大金持ちになって~、デッカイ家で優雅に暮らして~」みたいな、
霞がかかったイメージなんかとは、比べ物にならないリアリティ!
全身に鳥肌が立ち、イメージだけで胃がキリキリしてきた。潜在意識はリアルに思い描いたイメージと現実の区別が着かないというのはこういう事を言うんです。
霞かかったイメージなんぞ、所詮現実と無関係な妄想に過ぎないとバレバレだ。
今の仕事を続けていたら、会社から脱出する気力とエネルギーすら枯渇する。
どんなに愚痴をこぼしまくっていても決して退職しない先輩達みたいに。
だから、その前に自分から退職した。
この行動を生み出したのは、「退職すればきっと素晴らしい人生が待っているさ」なんて楽観主義ではなく、自分の人生にとことん絶望するしかなかった悲観主義だ。

現状をしっかり把握した上で未来を予測する。
そしてその未来が絶望的な物だったら、もう行動せざるを得なくなる。
楽観主義が描く未来はバラ色かもしれないが、それは宿命論をもたらす。
きついかもしれないが、バラ色の宿命論よりは絶望的な行動主義の方がまだマシだ。
何故なら、生きるとは何かをする事、何かを成し遂げていく過程だからです。何もなさずに宿命に従うという事は、オルテガに言わせれば「死に勝る自己否定」であり、俺もそれに同意している。

行動しなければ何も変わらないと知っておきながら、いつまで経っても行動できないのは、現状に満足して未来を「楽観的に」考えているから。自分の未来に絶望する悲観主義でないと、行動は起こせない。

それが現代と言う時代なのです。

それでは、次回の記事までごきげんよう。

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