タイトルで既に結論出てるじゃねぇか! というツッコミは強引に無視して書き進めていきます。
本気で何かを勉強したくなった時。
その分野について一通り学ぼうと決意した途端に、立ちはだかる壁。
読みたい本、読まなければならない本が山ほどある事に気付き愕然とする。
残りの人生全てを費やしても絶対に読みきれない。
触れる事すらなく人生を終えてしまう英知が山ほどある事に、絶望し涙するものだ。
少しでも多く読みたい、という欲望に囁きかけるのが速読の存在だ。
本屋をうろつけばその手の本は必ず目に入ってくる。
読みたい本が山ほどある状態で、なお別の本を買おうとするのだから、
これは買わねばならんだろう。
筆者も速読の本はいくつか読んできたので結構詳しい。
しかしこの、速読の方法に詳しい、というのは何の自慢にもならない訳ですよ。
例えばだ。
ダイエットの方法に詳しいのはどんな人か? そりゃぁ太っている人ですよ。
元々痩せている人はどうやったら痩せれるのかなんて、考えた事もありませんし知りません。
世の成功法則を知っているのは、成功とは無縁の失敗者だけなのです。
入試のベテランって事は、それだけ落ちているという事だ。
で、速読に詳しくなる程色々な速読法について取り組んだ筆者の結論が記事のタイトルである。
世の中には速読が出来る人がいるのかもしれんが、俺には無理だった。
その時の失敗について少々書いていこうと思います。
もしあなたが今速読の誘惑に囁かれているのだとしたら、多分参考にはなると思います。
まず最初に言っておきたいのは、
「本屋に売っている速読の本を読んでも、絶対に速読は出来ない」
という事。これは断言できる事です。
この理由は実にシンプルに確かめる事が出来ます。
本で速読が身につかない理由は、
独学ではどうたらかいう枝葉末節の理由ではなく、
もっと根源的な理由です。
今度本屋に行ったら、速読の本を見つけてパラパラめくるか、一番最後のページを見てください。
必ず、教材の申し込みハガキが挟まっているか、資料請求のURLやらが載っていますから。
何の為にその本を出版したのかというと、あなたに速読を身につけて貰う為じゃありませんからね。
あなたに教材やセミナーを売る為に書かれた本なのです。
その本は入り口であり、エサのついた釣り針であり、フロントエンドでしかない。
もしあなたが本だけで速読を身につけてしまったら、商売あがったりだ。
なので、仮に誰でも速読をマスターできるノウハウがあったとしても、
それは絶対に本には書かれていません。
「続きはwebで」「続きは製品版で」みたいに、
「続きは教材で」「続きはセミナーで」の様に仕組まれています。
本当に身につけたかったら、ウン10万する教材やセミナーに申し込めという為の本です。
元々速読が身につくように書かれていません。
ならば申し込みハガキを出して教材を買えばいいのか、という話になるがそれも勿論試しました。
筆者が一番最初に買ったのは、SRS速読とかいう教材だった。
確か19万くらいかけて買った教材だ。
この19万というのが高いか安いかなのだが、当時の筆者の経済状況を書いておこう。
この教材を買ったのは19歳の時だ。
その時の収入は、毎朝の新聞配達のバイトで貰える3万6千のみ。それが全て。
つまり、月収の5倍の金額を現金一括で購入した訳だ。
あなたの今の月収を5倍にしていただければ、当時の俺の覚悟は理解していただけるかと。
そんだけ金を払ってでも、本が沢山読みたかったのです。
しかしだ。
それほどの情熱と覚悟がありながら、それを悉く潰すほど退屈で苦痛な訓練法!
眼球をグリグリ動かす訓練やら、読んだ内容を全く想起できないのに想起しろと言い放つやら。
金だけでなく膨大な時間を費やすハメになったのに、全然成長が見られない。
読めた! と錯覚する事は数回あれど、数日後には内容もすっかり忘れている。
大金払ったんだから、何としても身につけなくては! と追い込んでも効果なし。
しまいには発想が逆転するまでに追い込まれた。
「速読を身につけられたら、50万あげるよ」と言われたとしても、
やりたくなくなる程苦痛だった。
あの訓練をやらされるのに、「たった50万」では安すぎる。
100万200万でも怪しい。等価交換の原則が成り立たない。
今ネットで「SRS速読」と検索してチラホラ見てみたら、
ちゃんと取り組まずにネットで悪評を流されるのは困る、みたいな書き込みがあったが、
その取り組みがハンパなく苦痛なのだよ!
ちゃんとやれば、ちゃんと速読が出来るようになるのかもしれない。
しかしそれは、
「毎日50キロのランニングをすればマラソン大会で優勝できますよ」と言われているに等しい。
確かにその通りだが、そんな非現実的な方法論を実行できるはずも無し。
このSRS速読を正しくやれば本当に速読が身につくのか否か、語れる立場に俺は居ない。
しかし多くの人は、やり遂げる前に耐えがたき苦痛でリタイアするであろう事だけは、
しっかりと書き記しておきます。
あれほどの覚悟と情熱を持ってしても俺はリタイヤしてしまった。
そこに意味があるのであれば人間はいかなる苦痛にも耐えられる、とフランクルは言ったが、
その肝心の意味を見出せない訓練の数々。
これを続けて本当に速読が身につくの?
という疑心暗鬼の中で取り組み続けられる人間なら出来るのかもしれない。
続いて取り組んだ教材は、多分業界では一番有名であろうフォトリーディングの教材だ。
こっちは当時5万くらいで売っていたのを購入した。
前回の体験から何も学んでいないのかよ! と突っ込まれそうだが、こっちは少々理由がある。
これを日本に広めたのが神田昌典だったからだ。
このフォトリーディングの方法論が正しいかどうかはともかく、
神田昌典自身は結果を出している人間だ。
自身でマスターし、試しにクライアントにも教えて結果を出させている。
折角身につけた速読法で何をするのかと思いきや、
「立ち読みで沢山の本を読みきって、『本屋の敵』を自称しています」
というショボイ自慢をするSRS速読とは毛色が違う。
フォトリーディングの本は、勿論巻末に教材の資料請求が載っているが、
本だけでもそれなりの変化と成長が見られた。
こっちの訓練は得体のしれない眼球運動の訓練とかは無かったし、
試しに取り組んでみる気にもなれる。しかも無理が無い。
ならば、本格的に学べば神田昌典みたいにしっかりマスターできるのではと思い、
教材を買ってみたのだ。
その結果はどうなったかというとだ。
結論からいうとマスターはしてない。
ただフォトリーディングの方はボロックソに批判する事は無いです。
SRS速読と違って、強靭な意思で苦痛に挑むような事はしません。
凄い退屈ではあったけれども、苦痛ではない。
この読み方は俺には合わなかったというだけの話。
「1分で1冊読める!」という謳い文句は眉唾ものであり、
多分殆どの人は出来ないであろうが、方法論自体は悪くない。
「読書百遍 意自ら通ず」というが、100回繰り返して読む時ゆっくり読めとは書かれていない。
このフォトリーディングでは、大きく5つのステップに分けて最低でも5回は読む。
反復は学習の基本だし理にかなっている。
他にも、本を読む目的を事前に明確化して答えが欲しい質問を用意しておくとか。
これも大切な事だろう。
でもこれらの事を学ぶのだったら、元ネタとなったオリジナルの本を読んでおいた方がいいだろう。
フォトリーディングの本は薦めませんが、元ネタの方は紹介しておきます。
講談社学術文庫から出版されている、M・J・アドラーの「本を読む本」
ここで紹介されている読書法をベースにフォトリーディングの本は書かれている。
こっちの本を読んでも速読は身につかないでしょうが、
本の読み方について参考になる事が多々書かれているので一読の価値ありです。
話を元に戻して、フォトリーディングの方についてだ。
筆者が教材に投資してまで取り組んだのに諦めた理由は、
1分で1冊みたいな世界は夢物語だと気付いた事と、
とある疑問が湧いてしまったからだ。
「これは・・・・・・果たして『読書』と言えるのか?」と。
その疑問の答えについては、フォトリーディングの本自体に書かれていた。
フォトリーディングは従来の読書とは全く違う新しい読み方だ、と。
そう、このフォトリーディングというのは、「読書」ではない。
従来の様に読書スピードを上げて速く読むという速読法の延長にはなく、
まったく別の情報処理の仕方で内容を理解する方法だ。
本を読む目的を明確化し、そこに最短距離でアクセス事を目的とする。
俺は「読書」をしたいのであって、「フォトリーディング」をしたいのではない、
という事に気付いてからフォトリーディングに魅力を感じなくなってしまった。
ただ今でも、役所の書類だの、利用規約だの、
「読みたくないけど読まなければいけない文章」を読まなければいけない時は、
こんな時にフォトリーディングが出来たらなあ、と思うことは多々ある。
それでもまた訓練しようという気にはなれない。
まあ、そんな感じで世に溢れている速読法は一通り試して、しかも身についていない。
速読なんて不可能に決まっている! みたいな頑なで偏狭な意見を主張するつもりは無いですけど。
今でも出来るようになったらいいなぁ、というロマンは追い求めています。
「本当に」マスターできる方法があるなら、受け入れるだけのオープンな心は持っている。
けど、今の所そんなもん無いよな、という結論に至っている。
25万近い金を払って得た結論がこれ。高い授業料だったな。
因みに速読をマスターしたと自称する人で、冊数自慢をしている人がいる。
一年間で1000冊以上読んでます! とか。
こう宣言する事になんのメリットがあるのかというと、一つだけある。
それは何かというと、本を読めない人からは「スゲー」って尊敬される。
あなたがこの手の自慢を聞いて「スゲー」って思う様なら改めて下さい。
例えばだ。
恋愛で「俺は今まで500人以上の女と付き合ってきた」とか、
「今まで1000人以上の女を抱いてきた」とか言ったとしたら。
モテない男からはスゲースゲーと尊敬されます。
しかし、真剣に恋愛する人間からしてみれば、それは軽蔑の対象でしかない。
「お前は、どれだけ薄っぺらい付き合いしてるんだ」と。
一人と真剣に付き合うというのがどれだけ大変な事なのかを知らんのか、と。
お前のいう「付き合った」というのは目があっただけの女もカウントしているのか、と。
それと同様に、一年間で1000冊読んだとかいう自慢を聞いた場合、
本当に本を読める人からしてみれば最早軽蔑の対象でしかない訳ですよ。
「お前はどれだけ薄っぺらい読み方をしているんだ」と。
一冊を理解するというのが、どれ程大変な事かを知らん人間の発言だ。
冊数を自慢するのは、誇らしいどころかむしろ恥ずべき行為です。
さて。筆者自身の速読体験や考え方は以上です。
もしあなたがそれでも速読の世界に足を踏み入れたいというのであれば、止めはしません。
止めはしませんが、最後に一つだけ警告をしておきたい事があります。
筆者が速読の訓練をして速読し続ける中で、辞める原因となった一番の理由。
それは、速読をし続けるとバカになる、という事です。
確実に、バカになります。
教養を身につける為に本を読むのに、バカになったら何のための読書か。
ここで「バカ」の定義をハッキリとさせておきましょう。
バカとは、ファスト思考しか出来ない人間の事です。
それに対して、賢い人とは訓練によってスローな思考が身についている人間の事を言います。
これでは何のことやらサッパリだろうから少々解説を。
行動経済学の創始者で、2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン。
カーネマンがその著書「ファスト&スロー」にて、
人間は「速い思考」と「遅い思考」を使い分けていると述べました。
速い思考(ファスト)は直感的な理解で、自動的に働き負荷がかからず快適です。
それに対して遅い思考(スロー)は努力を要するので、負荷が大きい。
どのような物かは、実際に試してみれば直に実感できます。
ちょっと問題を出すので、「素早く」「直感的に」答えてみてください。
問題
バットとボールはあわせて1100円です。
バットはボールよりも1000円高いです。
では、ボールはいくらでしょう?
きっと一瞬で答えが閃いたことでしょう。
それは勿論100、つまり100円だ。
この問題の特徴は2つある。
一つは、一瞬で答えが思い浮かぶ事。
そしてもう一つはその答えが・・・・・・・・間違っているという事。
試しに時間をかけて検算してみれば解りますが、
ボールの値段は50円で、バットの値段は1050円です。
カーネマンはこのバットとボールの問題を数千人以上の学生に出した。
ハーバート大学、マサチューセッツ工科大学、プリンストン大学と言った、
海外にまでその名を知られる大学の生徒達の50パーセント以上が間違った答え、
つまり直感的な答えを出したのだ。
これを他の大学でも出題したら80パーセントを越えるだろうと述べている。
ちょっと頭に負荷をかけてスロー思考でチェックすれば、間違う事はなかったはず。
正しく答えられた人達でも、頭の中に「100」という数字が浮かんだ事は間違いない。
アリストテレスは、「万学の祖」として知られている。
正しく「知恵を愛するもの(フィロソファー)」であり、考えなかった事は無いといわれる程だ。
哲学だけでなく、論理学、生物学、物理学、文字通り全ての学問に手をつけている。
イルカは魚ではなく哺乳類だと定義付けたのもアリストテレスだ。
物理学についてだが、アリストテレスは、
「物体は力を加え続けている間は動くが、力を加えなくなると止まる」と考えた。
学校でニュートンの「慣性の法則」を学んだ我々現代人からしてみれば、
それは間違っているぜアリストテレスさん、と言いたくなるだろうが、
この考えが近代の科学革命時代まで信じ続けられていたのは、
人間の直感的な理解に実に上手く訴えかけているからだ。
馬鹿でかいリュック背負って登山をしている人や、
重い荷物を運んでいる人にインタビューをしてみたら、
誰だってニュートンよりもアリストテレスの方が正しいと答えるに決まっている!
直感的な理解を見てみる為に、もう一つ問題を出してみましょう。
あなたが拳銃を、水平に撃ったとしましょう。
重力があるので、銃弾は真っ直ぐに飛ぶのではなく、
ゆっくりとカーブを描いていつかは地面に落ちます。
ここまではオーケーですね?
ではここで問題です。
あなたは右手に拳銃を。左手には弾丸を持っています。
右手と左手を真っ直ぐ前に伸ばして同じ高さにしています。
ここで右手の銃を水平に撃つと同時に、左手の弾丸を手放します。
銃から撃った弾丸と、左手の弾丸は、どちらが速く地面に着きますか?
正解は両方同じタイミングで地面に着く、
であるがこれは我々の直感的な答えと実に反する。
学校でニュートンの物理学を学んだ身としては、
正解を出す事は出来ても、なんか腑に落ちない感じがする事であろう。
直感的な理解であるファスト思考は、実に快適で素早い。
しかも厄介な事に、直感が生み出した答えは、
絶対に正しく間違っているはずが無いという気にさせてしまう。
先のバットとボールの問題でもそうだ。
そしてその「正解」を絶対の物として、
他の意見を排斥してまで押し通そうとするからバカは無知よりも厄介である。
無知は休む事があるが、バカは決して休まない。
教養の無さとは、あれを知らないこれを知らないといった知識量で決まるのではなく、
全ての問題をファスト思考(直感)で解こうとする態度から生まれます。
しかし、だからと言ってファスト思考がいけないと言っている訳ではない。
車の運転をスロー思考でやっていたらとても処理が間に合わない。
教習所で「右がアクセル左がブレーキ」と呟いていた状態のままでは、とても路上にいけない。
野生動物に狙われている時代に、
今の足音はライオンの足音かウサギの足音か考えていた人間は生き残っていない。
物音がしたら逃げろ、というファスト思考だからこそ生き残っている。
誰しも日常生活の殆どはファスト思考で、行動しています。
その意味では全ての人間はバカであるとも言えるのです。
しかし世のなかにはスロー思考を徹底して忌み嫌う人間と、
あえてスローな思考で考える人間がいる。
同じバカでも、筋金入りのバカと利口なバカの区別はあるのです。
そして世に溢れかえっている速読法というのは、
このファスト思考に拍車をかける方法、つまりバカを量産する方法でしかない。
キーワードとなる単語を拾っていって、「常識」という文脈で並べて間を埋めていくと、
それっぽい文章になって理解できる、というやり方だ。
そしてその直感的な理解は「解ったぞ!」という気分にさせてくれます。
バットとボールの問題の様に。
しかしその「正解」は実際には間違っている事が殆どだ。
どちらの弾丸が速く地面に落ちるかという問題の様に。
それに適当な単語を自分の頭で埋め合わせていって理解できるって事は、
その本から自分が学べる新しい発見は無いって事でもある。
自分の世界観を広げるとか、そういう成長をもたらす本ではない。
あくまでも自分の狭い世界だけで理解できる程度の事しか書かれていない本だ。
先にバカの定義は、ファスト思考しか出来ない人間だと述べました。
それに対して、賢い人間というのは訓練によってスローな思考が身についている人間です。
ならば、そのスローな思考を身につけるにはどんな訓練をしたらいいのか。
それは文字通りです。ゆっくり、丁寧に本を読みましょう、という事。
巷に溢れる「速く読めるほど素晴らしい!」という価値観とは真逆のベクトルですね。
だからこそ、やるだけで大衆からは一歩抜きん出る事ができます。楽勝ですね。
ファスト思考の特徴の一つに、「解らない状態に耐えられない」というのがあります。
なんでもいいから、すぐに、強引に結論を出さないと気がすまないのです。
無理矢理結論を出して、それ以上疑問を持つことを止める。
本読んでも内容が解らない。その解らない状態にどれくらい耐えていられるか。
この状態に耐える事もバカから脱け出す為の大切な訓練です。
お互い、頑張っていきましょう。
速読は素晴らしいと言われている中で、あえてゆっくり丁寧に読む事を薦める。
バカにならない為にも、今年はゆっくり丁寧に考えていく年にしたいと考えている所存です。
それでは、次回の記事までごきげんよう。