心理学を学ぶのにオススメの一冊がある。
これさえ手元にあれば、様々な本を何十冊も買い漁る必要は無い。
心理学の必要な基礎知識を一冊に凝縮した優れものである。
おお、それは素晴らしい本だと思った人には言い辛いのだが、この話には続きがある。
その本のタイトルは「ヒルガードの心理学」というのだが、
これを本屋で探すなりアマゾンで検索するなりしたら皆一様に「ゲッ」と反応するかもしれん。
先ず、現物を見てそのブ厚さに驚く。
大きさが、広辞苑をちょっと薄くした位のサイズだ。
それを手に取って驚く。
ダンベルの代わりになるんじゃないかって位の重さで、
頭だけでなく体も鍛えられる一粒で二度美味しい文武両道の本だ。
更に値段を見て驚く。
広辞苑普通版を三冊、机上版なら二冊買えるお値段だ。
最後にタイトルを見て驚く。
英語の原題が「Introduction to Psychology」であり、
こんだけの分厚い本でありながらイントロダクションでしかないという。
確かに値は張るが、心理学を勉強するのに何故か本屋の心理学コーナーではなく、
ビジネス書コーナーに行って「最強の心理戦術」みたいな本を何十冊も買って、
安物買いの銭失いをするぐらいだったらこれ一冊を買っておいた方が安上がりである。
筆者の場合、本当は学生時代に欲しかったが、流石に貧乏学生に買う度胸は無かった。
買える様になったのは、ブラック企業を辞めて無職になった時だ。
死ぬほど働かせられた結果、金があっても使う時間が無いから金は溜まる一方。
ブラックで働いてて良かったと思えた唯一の点である。
これだけブ厚い本だから、辞典の様な物を想像するかもしれませんが、
そんな事はなく読み物として面白い。
パラパラと捲ったページや興味のある章を何気なく読んでいける。
問題は、お出かけする時に持ち歩いたり、ベッドで寝っころがって読める本ではない点か。
机に座って「さあ読むぞ!」と気合を入れねば読めない本なので、中々手が回らない。
買ったはいい物の、この本の5%も活用できている気がしない。
それだったら1000円2000円の本で良かったなって事になるので、
この本をベースにブログ記事を色々書いていく事にした。
「ヒルガードの心理学」の興味があった所を読んで、即書いていくブログ。
その瞬間に書きたい事しか書かないブログなので、
これを連載記事にするかどうかは解りませんが、今回はこれで行きます。
最初のテーマは「ストレス」について。
どうやってストレスと付き合っていくべきかを書いていきます。
日常を生きていれば、誰しもストレスに遭遇する。
生命の危険に晒すようなストレスから、嫌な人間関係のストレスまで。
大小様々あれど、そのようなストレスを齎す要因を「ストレッサー」と言います。
そしてそのストレッサーによって、様々な「ストレス反応」が引き起こされる。
血管が収縮したり、動悸が激しくなったり、胃液が出なくなったり。
それらは、野生動物に囲まれて生きてた頃に植えつけられた生存の為のプログラムだ。
噛み付かれても出血が少なくなるように血管が収縮し、血はドロドロになる。
いつでも全力疾走で逃げられる様に、心臓はアイドリング状態を維持する。
これらのストレス反応は、重役が勢揃いした会議でプレゼンをする時には何の役にも立たないが、
それにも関わらず会議の時でも目の前にライオンが現れた時と全く同じ反応をしてしまう。
ご存知の通り、これらのストレス反応が長く続く事は健康に良くない。
心と体に歪みをもたらす。
そもそも「ストレス」という言葉自体、元々は心理学用語ではなく物理学の用語です。
物体を変形させたり破壊させたりする力、「応力(stress)」から来てます。
この「応力」をwikiとかで調べてもいいのですが、多分読んでも解らないと思う。
なので簡単に応力(ストレス)が解る実験を書いておきます。
お手元に、ルーズリーフなりチラシなり何でもいいので紙を用意して下さい。
その紙を巻物の様に、クルクルと巻いて棒状にする。
そこで手を離して力を加えるのを止めると、紙は元通りに戻りますね。
しかし、ここで紙に力を加え続けるとどうなるか?
上に重りを載せるなり、隙間に挟むなりしてずっとそのままの形を維持した場合。
その場合、紙の形が歪んでしまい、元の形には戻らなくなってしまう。
力を加えるの止めたにも関わらず、自力で巻物になった状態維持し続ける。
この歪みをもたらす力を応力(ストレス)と言います。
紙切れならそれでいいのですが、
これが自分の心と体に起きている事だと考えると、ゾッとしますね。
長期的なストレス反応が維持された場合、心身共に歪んでしまい病気になる。
ライオンと対峙する可能性が無くなった現代においても、
ストレスとの付き合い方を知るのは生きていく上でも急務です。
どうやったらストレスを無くす事が出来るか?
そう考える人も居るかもしれませんが、
それは問いその物が間違っています。
ストレスというのは無くせる物ではないし、無くすべき物でもない。
自分が誰よりも尊敬している人から、
「君なら出来る、やってみなさい」と応援される事もストレスだし、
買い物をする事もストレスだし、
配偶者を選んだり、結婚生活を続ける事もストレスだし、
「絶対合格してやる!」と決意して勉強する事だってストレスだ。
誰だって今より良い人生を歩みたい事であろう。
そしてその為に自分を変化させる力は、皆ストレスである。
一切ストレスが無い人生を望むのであれば、
それは植物人間として生きると宣言しているに等しい。
ストレス研究の権威であるハンス・セリエ曰く、
「ストレスは人生のスパイスである」
料理を台無しにしてしまう程スパイスをぶっかけるのは問題だが、
それが無い人生も同様に味気ない物となってしまうであろう。
ストレスは無くすべき物ではなく、上手く付き合っていく物だ。
その為のヒントが、「ヒルガードの心理学」に書かれている。
ストレッサーに対するストレス反応は、減少させる事が可能だ。
その為の2つの要素が「制御可能性」と「予測可能性」である。
出来事に対する制御可能性というのは、
我々がある出来事を起こらない様にしたり、
逆に起こしたりする事が出来る程度の事です。
自分の力でどうしようも無い様に見える出来事は、
ストレスだと知覚されます。
逆に言うと、自分で制御可能な出来事に対しては、
ストレスだと感じない度合いが増していく。
こんな古典的な実験結果がある。
参加者は、暴力によって命を落とした被害者のカラー写真を見せられた。
一方のグループは、ボタンを押せばいつでも見るのを止める事ができた。
しかしもう一方は、自分達で見るのを止める事はできず、
止める事が出来るグループと同じ時間だけ同じ写真を見せられる事となった。
結果は、同じ時間だけ写真を見ていたにも関わらず、
いつでも止められるグループの方はストレス反応が非常に少ないことを示した。
似たような実験で、いつでもボタンを押せば止めれるが、
なるべく押さないようにと促され実際には一回もボタンを押さず、
結局もう一方のグループと同じ時間ストレスに晒し続けた場合でも、
結果は同様の物となった。
自分達で制御できるという信念が、実際には制御できていなくても、
ストレスの衝撃を緩和する。
もう一つの要素である。予測可能性について。
出来事に対する予測可能性というのは、
我々がある出来事が起きるのかどうか、
また、それがいつ起こるのかを予測する事が出来る可能性の事だ。
ストレスとなる出来事が自分では制御できかなかったとしても、
それがいつ起きるのか予測出来る事はストレス反応を軽減させる。
ラットに電撃を与える実験結果では、
合図有り電撃と、合図無しの電撃の場合、
全てのラットが、予測できる合図有りの電撃の方を好んだ。
人間も一般に、予測不可能な電撃よりも、予測可能な電撃の方を選択する。
(この結果が出てるって事は、人間に電撃加える実験やったんかい!)
予測可能な電撃を待っている時は、
予測不可能な電撃を待っている時より不快ではない。
いつカミナリを落とすか解らない上司と一緒に働くよりも、
いつカミナリを落とすかちゃんと予測できる上司と一緒に働く方がいいしね。
自分の力でコントロール可能だという信念。
「いつでも自分で止める事が出来る」
「いつでもこの場から逃げ出す事が出来る」
つまり、いつでもそのストレスから回避できるという信念。
更に、起こりうるストレス予測できるという事。
「回避」と「予測」
この二つさえ可能なのであれば、
人はいかなる過酷な環境でも生きていける程に強い。
逆に言うと、先も解らず出口も無い状況に閉じ込められた時、
人は耐えがたきストレスに襲われ続ける事となる。
心も体もボロボロに成る程に。
筆者がブラック企業である居酒屋で働いていた時が、まさにこの状況であった。
先ず、店長が気分屋で感情的な人間であった。
今までゴキゲンだったのに、いきなり怒り出したりする。
しかも店長の考えが「マイウェイをヒズウェイに」って人なので、
徒弟制度の様に自分のやり方を俺に強制してくる。
俺が自分で考え、これがベストだと思ったやり方で仕事をしてたら、
いきなり「俺のやり方と違う!」なんて理由だけで怒り出したりするのだから、
いつ怒るなんて予測不可能だ。
サボッて怒られるのではなく、仕事して怒られるんだぞ。
しかも週6日毎日一日中働き続けねばならず、俺に逃げ場無し。
会社以外のコミュニティと関わる時間もエネルギーも無い。
そのストレスたるや、今の所人生で最大級。今後も多分ぶっちぎり。
良くあんな環境で8ヶ月も持ったものだ。
辞める時、仲良くなった常連客の年配サラリーマンの方に、
「石の上にも3年と言ってだね、どんな仕事でも少なくとも3年は・・・・・・」
「ここで辞めると逃げ癖がついて、これからどんな仕事も・・・・」
そんな感じでありがたいご高説を頂いた。
その人は凄くいい人だから、本当に俺の事を思ってのアドバイスだったのだろうが、
残念な事にそれだけは受け入れる訳にはいかない。
石の上にも3年ってのは、3年間は生きていけるって前提があっての事だろう。
あんな所にいたら3年以内に死んでしまう。
逃げ癖が云々って言葉も頂けない。
家が火事になってたら、全力で逃げるのが正気の判断だろ。
勿論家は大事だが、
その大事な家よりもっともっと大事な自分の心と体が炎上しているのだぞ。
心と体が燃えているのに居続けなければならない理由は何ですか。
個人的には、この「逃げ癖」という言葉を使う人間は赤信号。
そういう人間とは距離を取る必要がある。
権限を持っていて自分より上の立場の人間がこの言葉を使う場合。
それは、いつまでも相手を手元に置いて支配しておきたい時に使われる。
惹きつける魅力や好条件を提示するどころか、相手を叱責するだけでいい。
そういったサディズム的傾向がある人間が大好きな言葉である。
このサディズムという言葉は、一部の属性を持った人が喜んでしまう性的な意味ではないですよ。
心理学的には、相手を思い通りに支配する事によって心の安定を図る人間の事を言います。
とはいっても「俺は相手を思い通りに支配したい!」なんてストレートに言う人はいない。
それは相手に気付かれない様、形を変えて使われている。
「俺は責任感のある人間だから」とか、
「私は愛情深い人間だから」とか、
「私は正しい生き方をお前に教えなくてはいけないから」とか、
「今まで施してやった恩を忘れたのか!」とかみたいに。
そんな人間からはさっさと逃げなくてはいけません。
DV旦那やヤクザに散々暴力を振るわれたにも関わらず、
いつまでも別れられない女性みたいになってしまいます。
心と体がボロボロになってもなお、自分は愛されているんだと信じてしまう。
逃げ癖という言葉を使うもう一つのケース。
自分と同じ立場の人間がその言葉を言った場合。
それは、本当は自分も逃げ出したいのに出来ないから、
先に逃げ出そうとする人間を留めている可能性がある。
タコを漁で捕まえる時にはタコ壷を使う。
軟体生物で外敵から身を守る硬い殻を持っていないタコは、
壷のような入れ物を設置すると、これ幸いと自分からタコ壷の中に入ってくる。
壷の中が満杯になり、海から引き上げてもなお壷の中から出ようとはしない。
まるで会社ではないか。
「安定の職場」という言葉を信じて自分からタコ壷の中に留まる。
壷の中から出て行ったら生きていけないと思い続けてまな板の上まで運ばれる。
「逃げる」というと臆病者の振る舞いかと思われそうだが、実際には逆だ。
タコ壷から飛び出て、自分一人の力で生きていくと決意する方が勇気が要る。
もし誰かがタコ壷から飛び出してしまったら、今度は自分の番だ。
赤信号も皆で渡れば怖くない、のノリで、タコ壷もみんなと一緒なら怖くない。
もし皆が次々とタコ壷を飛び出て行くと考えたら、その不安と恐怖に耐えられない。
だからこそ「そんなんじゃ逃げ癖が付くぞ」みたいな事を言って留めようとする。
そうしないと、自身の勇気の無さと直面しなくてはいけなくなる。
フランスの哲学者、サルトルは「人間は自由の刑に処されている」と述べた。
これは現代人の感覚からするとおかしな言葉に聞こえる。
自由ってのは素晴らしい物ではないか。
生まれる前から奴隷として生きていく事を宿命づけられていた時代もあったみたいだが、
今では誰もが自由に生きていける良い社会だ。
それらのに何故「自由の刑」なる言葉が出てくるのか。
自由というのは、誰もが求める素晴らしい状態の事だろう。
しかしサルトルは、そうは考えない。
言ってしまえば自由とは、
何が正しいか何をすべきかも解らないのに、
自分で何かを選び続けなければいけない世界に、
いきなり放り出された極めて不安定な状態に他ならない。
台本も無く監督もいない舞台に放り出されて、
望んでもいないのにいきなり役者として振舞う事を強制される。
自分が何の役を割り当てられたのか解らない。
観客が何を期待しているのかも解らない。
何をすべきかも解らない。
それでも何かを演じなければならず、
しかも失敗したとしてもそれは全て「自分の責任」として押し付けられる。
かつては不自由の名の下、台本も監督も用意されていた。
封建社会の元、農民は農民としての役割を生まれてから死ぬまで割り当てられていたし、
商人は商人として、貴族は貴族として振る舞い続ける。
神の教えに純朴に従い、権威に従い続ける事が求められた。
現代人のパラダイムで見ると、「昔の人は可哀想だな」みたいに思えるかもしれんが、
多分、幸福度は昔の人の方が上かもしれない。
生まれてから死ぬまでのレールをしっかりと用意されているが故に、
これからどうなるのか、今何をすべきなのかという事に心を悩ませる必要が一切無い。
薬とカウンセラー漬けになりながら、神経すり減らして生きていく現代よりは幸せなのでは。
「アルコールが無かったら生きていけない」
「スマホが無かったら生きていけない」
「パソコンが無かったら生きていけない」
みたいに所有物に依存しないと生きていけない現代人よりは安定しているように見える。
近代は、神を殺し、既存の権力や身分制度を解体し続け、
自由と平等を勝ち取ってきた歴史である。
批判によって最善を得る思考により文明を発達させてきた結果、
もはやかつての宗教のように無条件で信じられる物など何一つとしてない。
科学的な思考は、万物全てに懐疑の余地が残されている。
そうでありながら、なお何かを信じる事を自分で選びその信条に従って行動し、
しかも全ての結果は自分の責任として受け入れねばならない過酷さ。
それが「自由の刑」である。とんでもない孤独と責任を押し付けられる。
自由ってのは、しんどくてキツイ物なのだ。
そんな自由に人は耐えられるのか?
そのあまりの辛さ故に、辿り着くのは「自由からの逃走」であるとフロムは述べた。
自らを歯車の一部と化し、組織や権威に帰属し、全体主義へ向かう事を望む。
組織に組み込まれていながら「逃げ癖が付くぞ」と言っている人間は、
実際には逆で、言っている本人自体が自由から逃げ出した結果である。
自由に伴う孤独と責任を受け入れた方が挑戦者であり、勇気が要る事だ。
さて、
ストレスの話に戻ろう。
ストレス反応を軽減する為には「回避」と「予測」の二つの要素が必要だと書いたが、
「回避」に関するネガティブなパラダムを払拭する為に上の事を書きました。
「逃げる」とか「諦める」とか言うと、
それだけでネガティブなイメージを抱く人がいるかもしれませんが、
実際には逃げたり諦めたりする方が勇気が要る場合があるという事は、
是非頭の中に留めておいて欲しい。
そうでないと、本来無用なストレスで心身共にボロボロになってしまうから。
無用なストレスがあるなら、有用なストレスもある。
先にも述べた通り、ストレスは人生のスパイスだ。
無くすべき物ではなく、上手く利用していくべき物です。
「世界中が注目するオリンピックの舞台に立つ」
という大きすぎる程のストレスがあるからこそ、世界トップクラスの肉体を作る事ができる。
逆にそんな事考えただけで胃がキリキリして寝込んでしまう人もいる。
大きいストレスが無かったら味気ない人生だが、
大きすぎて心身を壊してしまうストレスも困り者である。
この違いは何から生まれるかというと、ストレスその物ではなく、ストレス反応の違いから生じる。
だからこそ、ストレス反応を軽減させる方法を知っておく事は有用だろ。
大きいストレスでも、ストレス反応さえ軽減できるのであれば、ストレスは問題ではない。
むしろ共に歩んでいくパートナーである。
回避と予測。
これからストレスがかかる、もしくはかけるのであれば、
「いつでも止めていい」
「いつでも逃げ出していい」
という道をしっかり残しておく事。
実際に止めなくても、いつでも止めれるという信念は同様の効果を齎す。
いつでも好きな時に逃げ出せるんだったら、刑務所だって地獄ではない。
「刑務所一日体験ツアー」とかがあったら、むしろ一度は体験してみたい。
勿論、数時間で脱走しても良しなツアーでお願いします。
会社のストレスが辛すぎるというのであれば、
退職届を常備しておくというのも一つの手である。
実際に退職する必要は必ずしもないけど、
それがあるだけでストレス反応で狭まった視野が広がるだろう。
「いつでも辞めれるけど、今はここでスキルを身につけるか」とか、
「今はとりあえず働いて金を溜めておくか」みたいに。
曖昧な楽観主義はストレス反応を増す。
職場で嫌な人間と毎日顔を会わせねばならない時に、
「今日は会わないといいな」とか、
「今日はイライラしてないといいな」みたいな考え方。
そうではなく、起こり得る最悪の事態をしっかり予測しておく事。
雨が降ると解っているなら傘を持っていけばいい。
何の準備もせずに出かけてドシャ降りの雨に遭遇するから風邪をひく。
何が起きても「想定内です」と答えられる位に最悪の予測をしておければ、
ストレス反応は軽減される。
何か事を始める時。
例えば勉強する時等に、ハチマキしめて気合を入れて、
「この本を完全に理解するまで、他の本は読まないし、他の事はしないぞ!」
みたいに背水の陣で挑むのはとんでもないストレスだ。
このストレスに平気で耐えられるのであれば、凄い結果を齎すだろうが、
耐えられないのであれば、もっと気楽にやった方がいい。
勉強してもいいし、しなくてもいい、くらいに逃げ道を用意していた方が、
結果として止める事なく長続きする。
「雨が降っても毎日ランニングする!」とか、
「毎日ブログの記事を書く!」みたいなストレスは、
ハイリスク・ハイリターンな戦略である。
自分のストレス耐性と相談しながら、長持ちする戦略を考えた方がいい。
ストレスは無くすべき物ではなく、上手く付き合って利用する物。
「回避」と「予測」
この2つさえ可能なのであれば、
人はいかなる過酷なストレスの中でも生きていける程に強い。
それでは、次回の記事までごきげんよう。