ここ最近のマイブームは「進化」と「ヒーロー」である。
他の事についても早く色々書きたいが、
ヒーローについてもうちょっとだけ続くんじゃよ。
多くの人がヒーローと聞いて思い浮かべるのは、
子供向け番組でやってる悪を倒す正義の味方のような物かもしれないが、
実はヒーローの条件に正義の味方という要素は含まれてない。
そもそも正義や悪の定義なんて、時代や文化によってコロコロ変わる。
かつての日本では敵討ちによる殺人は正義とみなされ罪に問われなかった。
犬を殺したら罪になる時代もあれば、魔女を殺すのは正義となる時代もある。
それに対してヒーローはもっと普遍的なものだ。
ヒーローの条件は神話の時代からずっと変わらずに受け継がれている。
ヒーロー物の番組作りたかったら、取り合えず悪の秘密結社を用意して、
それを倒す正義の味方を作ればいいって考えなのだろうが、
そうやって作られた物はそもそも正義の味方ですらない。
戦隊物は全然詳しくないので、
俺が知ってて誰もが知っているであろうアンパンマンを例に出します。
果たしてアンパンマンは正義の味方かというと、実はそうではない。
なら一体何なのかと言うと、
アンパンマンは「正義の味方」ではなく「バイキンマンの敵」なんです。
アンパンマンの世界において、バイキンマンというのは唯一の例外的な存在だ。
あの世界では、現状に不満を持ち、理想を適える為に目標を設定し、
その為に努力している存在というのは、バイキンマンしかいない。
他に努力している存在はいないですから。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日が続く事を願う。日常を繰り返すだけの存在。
バイキンマンはその日常を壊しかねない脅威である。
故にアンパンマンがやる事は、ひたすらバイキンマンの邪魔をする事のみ。
バイキンマンの足を引っ張り、努力を無下にして、目標を達成させまいとする。
やってる事はそれのみなんですよ。ヒーローの条件である「自ら行動を起こす」という事が無い。
自ら行動を起こしているのはバイキンマンの方だ。アンパンマンは受動的に反応する。
アンパンマンが目標を立て、その実現に向かって努力する事は無い。
「よし、正義の為に日々これを成し遂げよう」とか、
「バイキンマン、君が悪事を働かなくても幸せになれる道を共に考えよう」とかみたいに。
特に、バイキンマンが悪事を働かせなくてもいいようにする道は絶対に取らないし取れない。
バイキンマンが一切の悪事を行わなくなったら、アンパンマンの存在する理由が無くなってしまうからだ。
この世から火が無くなったら、消防士は必要であろうか?
この世から病気や老化や怪我がなくなったら、医者は必要であろうか?
皆が道徳的・模範的な生き方のみをするようになったら、裁判官は必要であろうか?
そして、
バイキンマンが居なくなったら、果たしてアンパンマンは必要であろうか?
この世から悪が居なくなったら、果たして正義の味方は必要であろうか?
バイキンマンのみが出てくるストーリーなら作る事が出来るが、
アンパンマンのみが出てバイキンマンが出てこないストーリーは作る事が出来ない。
仮に作れたとしても、それは恐ろしくつまらないストーリーになる事は間違いない。
小中学生の日記やツイッターぐらい下らなくてつまらないストーリーになる。
「朝おきました」
「ご飯食べて学校行きました」
「怒られてマジむかつきました」
「帰ってゲームしました」
自分で書いておきながら、あまりの下らなさにキーボードを叩き割りたくなってきた。
話が一切動かない日常物のストーリーを見せられて何が面白いというのか。
アンパンマンのストーリーを作りたかったら、バイキンマンに依存しなくては作れない。
何故なら、アンパンマンがやっている事は、ただバイキンマンの邪魔をする事だけだから。
バイキンマンなら、アンパンマンに依存する事なくストーリーを作る事が出来る
悪を見つけてそれを徹底的に叩くというのは、
最もお手軽かつ強力に、自分が正義であると主張する事が出来る手法だ。
ネットの掲示板なりツイッターなりを眺めてみれば、うんざりする程の正義で溢れかえっている。
何も生み出そうとしない人間にとって、正義というのは最大級の「娯楽」なのだ。
まったく無関係な有名人や芸能人の悪事を、これでもかと言わんばかりに叩きのめす。
最早「必殺仕事人」だらけの世の中である。
そんなに善人で溢れていながら、何故こんなにも世の中は平和でないのか不思議である。
「善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて、
善い人間になったらどうだ」
ブログの冒頭に掲げているマルクス・アウレリウスの言葉である。
善を語る人間は掃いて捨てる程いるが、善であろうと努力する人間は皆無である。
それでは、次回の記事までごきげんよう。