俺の蔵書に経済学の本は殆ど無い。
『国富論』や『資本論』は果たして経済学と呼べるジャンルなのか疑問なので、
それを踏まえるとやはり蔵書は限りなくゼロに近い。
そんな俺が持っている唯一の経済学の本が、
ピーター・T・リーリンの「海賊の経済学」である。
これは本当に経済学の本なのか怪しいタイトルであるが、
経済学部の大学教授が書いているんだから経済学の本だろう。多分。
経済学の素養が無い俺では殆ど理解できない内容であったが、
そんな俺でも理解できて実生活でとても役立つ考え方があった。
それが、「意思決定費用」についての話だ。
これは読んで字の如く、何らかの決定を下すには費用がかかるという話だ。
例を出して具体的に解説していきましょう。
独裁的なワンマン社長の会議ってのは、10分程度で終わる。
いや、そもそも会議すら必要ないかもしれない。
社長が一言、これをする事に決めたの一言で会議は終了。
それに対して民主的な会社の会議は、延々と長引く事になる。
あーでもないこーでもないとダラダラ話し、
誰の案を採用するかでまた延々と話す事になる。
関わる人間が多ければ多いほど、意思決定をするのに莫大な費用を必要とする。
費用が高すぎて、なかなか購入に至れない程に。
それに対して独裁者や個人の場合、意思決定費用は限りなくゼロに近い。
反対する人を説き伏せる労力が要らないからだ。
お役所仕事もそうですね。
関わる部署が増えれば増える程、書類を通すのに時間がかかる。
たった数個のハンコを貰うのに、一体何時間かかるというのか。
人数に限らず、仲の良さ等、その他あらゆる要素も意思決定費用を高値にする。
例えば、ネットで仲良くなったグループでオフ会を開く決定をするとしよう。
「今度みんなで会って飲みにいこうぜ!」
「何言ってんだ○○ちゃんはお酒飲めないだろ」
「じゃあ、ステーキ食いにいこうぜ」
「おいおい、○○君はヒンズー教徒だって事を忘れたのか」
「寿司食いにいこうぜ、寿司」
「オー、ワタシ、ナマザカナダメネー。ニポンジンザンコク」
みんなが参加するにはどうしたらいいのかと、
長い話し合いで莫大な意思決定費用を支払ってもまだ話は続く。
「じゃあカフェに集合ね。来週日曜日に、東京にみんな集合」
「待って。ウチらのグループって関西在住が多いんだから関西でやろうよ」
「あ、僕学生なんで関西までの交通費はとても・・・・・」
「え~、○○君が来ないなら私も行かな~~~い」
「つーか俺土日仕事で平日休みだから、日曜だと無理ッス」
仲の良いグループの意思決定費用は限りなくインフレしていく。
それに対して、独裁的な主催者のオフ会決定にかかる費用は限りなくゼロに近い。
「みんなで飲みたくなったから、来週の水曜日に鹿児島に集合。
来れる人はメールして。来たく無い人は来なくいいから」
関わる人間が多くなる程無駄が増えてコストがかかる。
ジョブスの様なワンマン経営者の会社は、決断力に優れ行動が早い。
それに対して、何を決定するにも重役クラス全員のハンコが必要な会社の行動は遅い。
一瞬で世界が変化する激動の時代においては、ハンコを押している間に世界から取り残される。
即座に変化に対応できない種は、恐竜と同様に滅びる運命だ。
ここまでの解説だけだと、
「独裁制バンザイ! 無駄にコストばかりかかる民主制は駄目だ」
となるかもしれんがそうは問屋が卸さない。
この意思決定費用とトレードオフの関係にあるもう一つの費用、外部費用がある。
外部費用とは何か?
これは、決定事項に賛成しないグループのメンバーが負担する費用の事。
例えば、とある大企業のワンマン社長が赤字経営の打開策として、
全従業員の給料を30パーセントカットする決定を下したとしよう。
その場合、全従業員が納得できない決定に従う事になり、莫大な外部費用を支払う事になる。
新しい法律を可決する時も、有権者の1割が承認すればいいのであれば、
その法律を施行する為の外部費用は極めて高い。
残り9割の有権者が反対しているにも関わらず、可決してしまう可能性があるからだ。
逆に、有権者全員が承認する必要がある法律なら、外部費用はゼロになる。
その代わり、その為に支払う意思決定費用は莫大なモノになるだろうが。
会社を立ち上げた当初は、ワンマン社長の鶴の一声でしっかり結果を出していても、
成長して大企業になると、同じ手法では外部費用が高すぎて結果が出せなくなる。
この「意思決定費用」と「外部費用」は、トレードオフの関係。
意思決定費用を支払わないなら外部費用は高くつくし、
充分に意思決定費用を支払えば外部費用は安くなる。
なるべくなら最終的に支払う総費用を最小化したい。
しかしどちらかを下げようとすれば、もう片方が上がってしまうし、その逆もしかり。
では一体どうすればいいのか?
「海賊の経済学」では、それに対して重要度で分けるという解答を用意している。
もの凄く重要な決め事なら、全員一致制に近い意思決定ルールにした方が効率がいいかもしれない。
凄く重要な問題であれば、その決定に賛成できない人の外部費用は飛躍的に跳ね上がるからだ。
その場合、高い意思決定費用を負担しても、外部費用がもっと大きくなるのを防げるので、
結果として総費用は抑えられて経済的だ。
それに対して、どうでもいい決定事項を考えてみよう。
例えば、会社で使うボールペンはどこの文房具屋で買うのがいいのかを、
重役から新入社員まで全員集めて会議で決めるとしたら、
全くもって無駄な意思決定費用を支払う事になる。
そんなのは誰か一人の鶴の一声で、独裁的に決めればいい。
それに対する外部費用は殆どかからない。
多分誰も文句を言わないし。
経済学の観点から自分の生活を振り返ってみると、
色々な事が新しい視点で理解できるので楽しい。
例えば、自分には決断力がないという状況を、
心理学的観点や脳科学的観点からではなく、
経済学的な観点から眺めてみるとどうなるか。
自分には決断力が無いという状態を経済学的に言い直すと、
それは意思決定費用が高すぎて支払えないという状態だ。
何故意思決定費用が高くなるのかというと、外部費用を安く抑えようとしているから。
例えば、一人暮らしの人間が今日何を食べるか決めるのは簡単だ。
ラーメン食べたかったらラーメン食えばいいし、煮物食べたかったら煮物を食えばいい。
ところがここに家族が加わると、途端に決定するのが難しくなる。
「今日の献立は何にしようかしら」という命題はいつでも全国のママさんを悩ませる。
あなたが大企業の社員食堂を担う料理長だったとしたら、決定は更に難しくなる。
毎日同じ料理を作り続けたら、社員から文句が出る。
ならばと思い、絶えず新しい献立に挑戦し続けたら部下の料理人達が悲鳴を上げる。
高給な食材使って美味いものを作り続けたら経理の人が睨んでくる。
安物の食材で作り始めたら、社食の飯はまずいと噂される。
それらの外部費用を抑えようとすればする程、意思決定費用は高くなる。
「今日はこれをするぞ!」という決断力が無かったら、行動を起こすことは出来ない。
決断力は行動力と同義だ。決断力がなくなると行動力もなくなる。
行動力とは何かというと、決断力の事なのです。
行動が伴わない決断を、決断と呼ぶことは無い。
そして決断力は、意思決定費用を抑える事で生み出せる。
意思決定費用がゼロなら決断力はうなぎのぼりだ。
そして意思決定費用を抑えたかったら、外部費用を高めに設定すればいい。
この二つの費用は完全にトレードオフの関係だ。
行動力を失って無気力になっている人というのは、
言ってしまえば外部費用を抑えすぎて、
意思決定費用がハイパーインフレを起こしている状態なのです。
大根一本買うのに一億円かかる世界では、そりゃぁ何も買えないさ。
この外部費用を抑えると言うのは具体的にはどういう事かというと、
他人に迷惑をかけたくないとか、失敗してみんなから馬鹿にされたくない等です。
そう考えてみると、周囲の迷惑を省みない自己中心的で我が侭な人間が、
何故あんなにも行動力に満ち溢れているのか良く理解出来ると思います。
子供は行動力の塊です。
ところが、子供が大きくなるにつれて親や先生から怒られる様になる。
「もう大きくなったんだから、もっと外部費用を抑えなさい!」
その結果、意思決定費用が高くなって実に「大人しい」子供が育っていく。
赤ん坊の頃はどんなに外部費用をかけても、周囲の大人が支払ってくれたのにね。
大きくなって社会性を身に着ける程、意思決定費用と外部費用の合計値は大きくなる。
自分一人だけの世界に生きている時の合計値は限りなくゼロに近いが、
家族、学校、村、町、国等々、所属するコミュニティがでかくなる程合計値は大きい。
独身の時は起業しようが留学しようが引きこもろうが自由だが、
家族が出来たり会社に所属してたりすると、それらの費用は跳ね上がる。
なかなか決定を下せず行動できない時に、経済学的に考えるべき問いはこうだ。
「何故この決断はこんなにも意思決定費用がインフレを起こしているのだろうか?」
そう考えてみると、自分から距離を取って実にシャープで客観的に物事を分析できる。
悩んでいる時ってのは、自分と距離が近すぎて物事が見えなくなりますからね。
「自分は生まれつき決断力がないんだ」「自分には勇気が無いから仕方ない」みたいに。
いやいや、決断力というのは精神論の問題ではないです。
費用が高すぎて支払えないというだけの話。
意思決定費用と外部費用の基本ルールさえ解っていれば、
決断力の問題を解決する方法はそれこそ無限に思いつける。
無限にありすぎてとても書ききれない。
俺もいくつか思いついた事を書いていきますが、
他にもなんか思いついたというのであればコメントをどうぞ。
まず思いついたのは、外部費用を一切支払わない様にする事。
かなりの荒業ですね。
基本ルールとして、意思決定費用をゼロに近づける程決断する事は容易になる。
そして意思決定費用を抑えれば抑える程外部費用は跳ね上がるが、
その外部費用を一切支払わないのであれば、決断を止めるものはもう無くなる。
「他人に何と言われようが知るもんか! 私は私が生きたい様に生きるんだ!」みたいに。
凄い偏見かもしれんが、こういう事を言っている人間は女性ブロガーに多い印象。
「ありの~~ままの~、自分~にな~る~の~~~」
で有名なディズニーのアナと雪の女王。
この曲は俺の中では、外部費用を放り投げる生き方を歌った曲になっている。
雪山で、自分を包んでいた外部費用であるマントを放り投げて「少しも寒くないわ」と歌う。
いや、多分寒いよ。周囲の視線や世間の扱いが。
「何も怖くない 風よ吹け」と、世間の風当たりを受け入れる覚悟をしなくては出来ない。
そして、外部費用を放り投げた事により歌はこう続く。
「悩んでいたことが嘘みたいね。だってもう自由よなんでも出来る」
このなんでも出来るというのが、意思決定費用が限りなくゼロに近づいたという事。
意思決定費用を抑える事ができれば、なんでも出来るしなんでも決めれる。
そんな生き方をしても大丈夫なのか? それに対する解答はこう歌われる。
「これでいいの自分を好きになって。これでいいの自分信じて」
このアナと雪の女王はディズニー映画でありながら子供ではなく、
大人の女性から絶大な支持を受け、女性のリピーターで映画館の席が埋められた。
女性の心理は良く解らないが、おそらくこういう生き方に憧れるんだろうという事は感じ取れる。
男の子は大抵ほったらかしで育てられるけど、女の子は厳しく育てられるだろうから。
「あなたは女の子なんだから、そんな外部費用を高める生き方をしてはいけません!」
って感じで。
だからこそ「ありのままで生きましょう。ありのままの自分を好きになりましょう」
と語る女性ブロガーは女性の読者から絶大な支持を得ている事だろう。
そういう生き方に憧れるのは女性に多いのだから。
この外部費用を完全に無視する生き方は難しいかもしれない。
雪の女王なら雪山でマントを放り投げても寒くないだろうが、
普通の人間が衣服を放り投げたら凍死してしまう。
「すすすす少しししももささ寒くなないわ」と歯をガチガチ鳴らしながら強がる事になる。
そういう人間が叫ぶ「私は私の生きたいように生きる!」という宣言は悲鳴だ。
なので他の方法も考えて見ましょう。
次に思いついた方法は、外部費用を誰か代わりに支払って貰う事。
例えば、自分が心から信頼している上司や先輩からこう言われたらどうだろう。
「お前は何も心配せず思う存分やれ。責任は全部俺がとるから」と。
それなら、どんなに決断力や行動力が無い人間でも一歩を踏み出しやすくなる。
自分を支持して応援してくれる人に囲まれれば、行動力は沸いてくる。
「自分勝手に生きて周囲に迷惑をかけるな!」と教育(矯正)されて大きくなったが、
自分勝手に生きても迷惑に思わない所か応援してくれる人間ってのは、案外居るものだ。
それは数にしてみれば僅かかもしれないが、そういう人を周囲に集める事ができれば、
意思決定費用を抑えたせいで肥大化した外部費用も、代わりに払ってくれる事がある。
エガちゃんとかはまさにそういう生き方をしている人間ですね。
いきなり脱ぎだすわ、他の出演者に襲い掛かるわ、国際問題を起こすわで、
エガちゃんの爆発的な行動力に伴う外部費用は常時インフレ状態。
それを支払う周囲の人間の苦労は想像に難くない。
しかし支払いたくなってしまうんですね。視聴者もスタッフも。
そういう魅力を持っている。
ここで想像して欲しいのですが、
そういう外部費用を支払ってくれるファンやスタッフが一人もおらず、日本人全員がエガちゃんを嫌っていたとしたら(実際、嫌いな芸能人ナンバーワンの称号を欲しいままにしている)、それでもエガちゃんはあの決断力と行動力を発揮できるであろうか。
完全なる孤独というのは人から生きる気力を奪い、あらゆる人を無気力にする。
ワンマン社長の会社というと社長が無理難題を押し付け、
社員は我慢しながら奴隷の様に働いていると思うかもしれないが、多分そうではない。
そんな会社だったら一瞬で潰れてしまう。
内部告発やらストライキやら横領やら転職やらで、遠くない未来に社員が反逆を起こすだろう。
長く続けられるのは、それらを補って余るほど社長に魅力やカリスマ性があるから。
『ブラックジャック誕生秘話』というマンガがあります。
マンガの神様として知られる手塚治虫の仕事っぷりを、
当時の編集者やスタッフのインタビューから構成したドキュメンタリーマンガです。
ここに出てくる手塚治虫は、世間一般で聖人の様に崇められている人間ではありません。
とんでもない我が侭っぷりで周囲の人間を振り回す、実にリアルな姿を描いている。
殺人的という表現が生易しくなる程の殺人的なスケジュール。
ブラック企業も裸足で逃げ出すブラックな労働量。
スタッフは皆当時の様子を振り返って愚痴や文句を言うのですが、
皆文句を言いつつも、どこか誇らしげで実に楽しそうな笑顔で語るのです。
手塚治虫の外部費用を払っていいと思える程に、魅力やカリスマ性があった。
「この人と一緒に働きたい」「この人の為なら命を削ってもいい」と思えるだけの魅力が。
多分だが、かつてジョブズと一緒に働いた事がある人達も同じ様に語るんだと思う。
ジョブズの暴君っぷりに文句を言いつつも、きっと誇らしげに語るんだろうな。
肥大化した外部費用を誰かに支払って貰えれば、意思決定にかかる費用は少なくなる。
つまり決断力と行動力が増える。
その為には「この人の外部費用なら支払ってもいい」と思われるだけの魅力やカリスマ性を身に着ける事。女性好みの表現で言うなら、愛されキャラになりましょう、って所ですかね。
じゃあどうやったら魅力やカリスマ性が身に付くんだって話だが、
そんなのがノウハウ化できるんだとしたら、俺も今日からスティーブ・ジョブズだよ。
ただ、魅力やカリスマ性をこのブログの文脈で言い直すと「ヒーローになろう」って事です。
この人の力になりたい、と思える様なヒーロー目指して頑張っていきましょう。
その為の記事はこれまでにも書いてきたし、これからも書いていくつもりです。
孔子曰く「徳は孤ならず、必ず隣有り」。
あなたがヒーローとして、自分より大切な物の為に自分の命を捧げているのであれば、
そこには必ず理解者が現れます。それを信じて歩み続けましょう。
行動力=決断力を生み出す為に、2つほど思いついた事を書いてみました。
意思決定費用を抑えた事により肥大化した外部費用を、
ガン無視するか誰かに支払って貰うか。
他にも色々思いつくのですが、最後にひとつだけ書いておきます。
意思決定費用と外部費用。
どちらかを抑えればどちらかが大きくなるトレードオフの関係。
しかし、両方を合計した総合費用が小さければそもそも問題にならない。
この総合費用は、関わる人間が多くなればなる程大きくなっていく。
独り暮らしの時はなんでも自由にできたのに、家族が出来るとそうもいかない。
なので、誰にも邪魔されない自分独りだけの世界を作れば、行動力は溢れてくる。
誰にも邪魔されず、独りだけで何かを為す期間はとても重要だ。
キリストが、荒野で40日間孤独に過ごす時間が必要だった様に。
わざわざ荒野に行く必要は無いが、瞑想というのも行動力を生み出すには有効だ。
瞑想は、誰にも侵されない自分の内面世界を形成する。
やりたい事があるけど、周囲の人間が反対して外部費用を抑えるのが大変だ。
というのであれば、誰にも見つからないように「コッソリ」やりましょう。
そこでコツコツ地力をつけておけば、
雪山でマントを放り投げても「少しも寒くないわ」と言える程強くなる事ができる。
外の世界が寒くて死にそうだったら、またいつでも自分の世界に戻ってくればいい。
しっかりと自分の世界を構築して土台を固めていれば、いつでも戻ってくる事ができる。
いつでも戻れるという安心感が、外の世界に飛び出す勇気と行動力を与える。
そしてしっかり地力さえつけておけば、周囲の人間が応援して外部費用を払ってくれる事も増える。
そうやって自分を支えてくれるコミュニティが形成されれば、そこが新しい自分の世界だ。
「徳は弧ならず、必ず隣あり」である。
長くなったので今回はここで一旦終了です。
それでは、次回の記事までごきげんよう。