脳を鍛えるには運動しかない

色々な分野を真剣に勉強する必要が出てきた。
そこで、今までの様に適当な学習法ではなく、
ちゃんとした学習法や思考法を知る為に、
いくつかの本を読んでみたのだ。

それらにはいい事や役立つことが沢山書かれてあり、参考にすべき所が多々あるが、
ポッカリ抜け落ちている所があるので記事で書いておこう。
これらの学習法の本は、当たり前の様に頭を鍛える事に重点を置いている。
というか、頭についてしか書かれていない。
体の事に関しては考慮の外だ。

だがしかし。

脳を鍛えるには運動しかない。
勉強が捗らない、集中して机に座っていられないという段階の人間がやるべき事は、
ポストイットの使い方だのノートの使い方だの学ぶ暇があったら、
教科書を放り投げて筋トレを始める事だ。
ここだけ読むとシュワちゃんのコマンドー並みの筋肉万能理論を彷彿とさせてしまうが、
ネタではなくクソマジメに書いています。
場合によってはこれだけで学習の悩みを解決してしまう。
即効性がありすぎるので、一度効果を実感してしまったら、
もう筋トレ無しでは勉強できない体になってしまいますよ。
勉強を続ければ続けるほど筋肉モリモリマッチョマンになってしまう。
ベーコンが残した「知は力なり」という言葉は真実であった。

脳と体の関係について、参考書籍として大いに推奨したい本が、
NHK出版から出ているジョン・J・レイティの『脳を鍛えるには運動しかない』です。
本には色々な読み方がありますがこの本の有効な活用法は、
一度通読してから本棚の良く見える所に置いておき、
タイトルを見直すたびに「よし、運動するか!」と、
スニーカーの紐を引き締めたくなる気持ちを呼び起こすために使うのが良しです。
コルチゾールがどうとかエンドルフィンがどうとかいう脳科学の話はサッパリ忘れてしまったが、
それでもなお本棚に置いていあるだけ御利益があるありがたい本だ。
血肉と化すまで精読せねば役立たないという類の本でないし、
これで2,100円はリーズナブルなお買い物である。

流石に通読しただけでは本の内容も興味のある部分しか覚えておらず、
筋肉と脳の関係を脳科学的に説明するとかは出来ないので、
自身の体験をベースに、体を鍛える事がどれほど学習に役立つかを書いていきます。
やる事は極めて短時間でオーケー。しかしその見返りは絶大だ。

まず、多くの学習法や思考法が言及せずにいるのでここでしっかり確認しておきますが、
勉強したり考えたりするには体力が必要なのです。
最低限の筋肉すらなかったら、何も考えられないし勉強しても続けられない。
ではその『最低限の筋肉』とはどれくらいの筋肉なのかというと、
姿勢を維持する事が出来るだけの筋肉です。

この姿勢を維持できる最低限の筋肉すらなかったらどうなるか?
ニート時代の俺の体験をここで書いておこう。
ニートみたいに、生きる目的が無くなった人間からは物凄い勢いでなくなる物がある。
それが筋肉です。
「よし、これをやろう!」みたいな目的が一切なくなってしまうので、
体を動かすこともなく、結果として筋肉はドンドン衰弱していく。
使えば使うほど発達するが使わないと一瞬で衰えていくのが人体だ。
ニートや寝たきり生活を経験した事の無い人には実感として理解できないかもしれないが、
俺が筋肉が衰えまくっていた時に実感したのは、体が休まる瞬間が一切ないという事。

まず、運動どころか立っているだけで疲れるんですよ。
立つのがシンドイから座ったとしても、全然楽にはならない。
もう座る事すらハードワークとなりベッドの上で寝たきりになるのですが、
横になっていても全然楽にならない。
吸って、吐いて、という呼吸をするだけで苦しくなる程筋肉が衰えているのです。
複式呼吸のあのわずかな運動をするだけで苦しいのだから、
一日の中で一瞬たりとも快適に過ごせる瞬間が無い。
全身を覆っている布団ですら自身の体を圧迫して呼吸を困難にする。
なんかやらなきゃという脅迫観念の中で、なんとか本を読もうとしても、
本を読む姿勢すら維持できず5分ともたずに肉体が悲鳴を挙げる。

今までの俺は筋トレみたいに、
運動とは関係ない単なる体をでかくするだけのトレーニングはしなかった。
ここら辺は合気道をやってた武道家としての矜持でもある。
見掛け倒しの筋肉が無くては人間ぶっ倒せないとしたら、何のための武道なのか。
しかしもう合気から身を離れて久しいし、筋トレをしてもいいかと思って、
試しにやり始めるようになったらその効果の素晴らしさにハマってしまった。
もう、長時間の読書でも平気でこなせるようになりました。
今までは机で読んでいると疲れてきて「早くフトンに入りたい」と思っていたのだが、
集中力が続く限りはいくらでも読み続ける事ができる。

ちょっと疲れたとしても、筋トレで数分間刺激を与えればまた集中力が回復する。
なんか調子が出ないなぁ、って時にやる事も筋トレだ。
長時間やっても回復しない時は、もう何をやっても駄目な程疲労しているという事で、
疲れ果てた体をグッスリ休ませる。どうせ起きててもロクな事はできない。
しっかり筋肉を使って疲労しているので、グッスリ眠れるし、目覚めれば回復している。

この姿勢を楽々維持できる程の筋肉がついた状態になって思い出したのが、
これって高校生の時の俺の状態とそっくりだったという事。
当時は陸上部として毎日長距離を走り続けていた。
そういうえば高校の時は、立ち読みで文庫本読破するとかも余裕でできていたな。
今ではすっかり出来なくなって、とりあえず買って寝ながら読もうとか考えている。
それに高校の時は、勉強していサッパリ解らず勉強を投げ出した事は多々あれど、
机に座っているのが辛いから勉強をやめるという事は無かった。
この感覚は、実に久しぶりだ。
勉強ってのは、体力がある若いうちに存分にやっておくものだったのだな。

経験上「なんとなく」疲れている時などは、休んでも回復しない事が多い。
それよりも、むしろ筋肉に負荷をかけた方が軽度の疲労は回復する。
俺は仕事が終わって家に帰ったら、軽く筋トレをすればまた回復して活動できる。
ディスクワークの時はそれでもいいが、一日かけた肉体労働の後に筋トレした時は、
次の日は体を回復させる事にのみ全霊を捧げる事になりましたがね。
重度の疲労の時は大人しく眠りましょう。
筋トレを始めてから仕事の疲労が少なくなってきたので、
益々筋トレをする余力が出来る好循環。
みんなが疲れ果てている時でも朗らかな笑顔で仕事が出来るので、
仕事のトラブルや人間関係で疲弊する事も少なくなる。
トラブルや人間関係の問題を抱えてイライラしたり不安になっているのに、
集中して勉強に励めるってのは普通はありえない。
良好な仕事も勉強する環境作りに必要な条件であり、
筋トレはその環境作りの一環を担います。
筋肉があるといい事の一つに、
目の前でガミガミ怒鳴る上司もこの鍛えた腕でぶん殴れば黙るという事に気付けるので、
何を言われようとも余裕を持った対応で良好な人間関係が築けますよ。
いや、勿論殴った事はないですけど。
そもそも良好な人間関係が築けているのだから殴る必要が無い。
あくまでもぶん殴るのは最終手段だが、この最終手段が使える相手だと、
逆に良好になって殴らずに済むという矛盾が成り立つ。

筋トレをしたからと言って、難しい本が読める様になったり問題に答えられる訳ではない。
しかし、逃げ出さずに取り組み続けるだけの『体力』が付くのだ。
最終的に物を言うのは、諦めずに取り組み続けられるだけの体力である。
『効率』だの『レバレッジ』だの『記憶術』だのを気にして勉強を始めるのは、
体力を確保した後だ。
使いこなす土台の体力がなくてはどうせ使いこなせやしない。
5分勉強しただけ肉体的に疲労困憊になって休息が必要な人間に、
どんなレバレッジや効率的な学習法があるというのか。
脳に新鮮な酸素を大量に送る事が出来ない人間が、
どれだけ自分の脳を活用できるというのか。

姿勢を楽に維持し続けるだけの筋肉が、学習の際には絶対に必要。
筋肉の衰えに比例して勉強できる時間が減り続けていたのだが、
筋トレをしてからというもの勉強可能な時間は徐々に増え続けてきた。
本当は脳を鍛える為には有酸素運動をする必要があるのだが、
今の所は短時間で場所も問わず、器具やジムや金を必要としない筋トレだけしている。
長時間の運動や、しっかりとした計画や事前の準備が必要な運動にしたら、
俺は絶対に続けられないと解っていますからね。
毎日30分のランニングとかだったら、2日持てばいいほうだ。
しかし1分とかからない腕立てや腹筋を、疲れた時や仕事前仕事後など、
細切れの時間でチマチマやっているお陰で無理なく続けられている。
しかも即効性があり、その効果は抜群だ。
な~~んかヤル気が湧いてこないんだよな~~、みたいに、
精神状態が淀んだ時でも筋トレをすればスッキリして色々積極的に取り組める。
長めに筋トレをしても回復しないとしたら、それは休息が必要な合図なので大人しく休む。

頭だけを鍛える、というのは不可能だ。
出来る人もいるのかもしれんが俺には不可能である。
試験勉強みたいに、もし一分一秒を惜しんで勉強せねばならないとしたら、
勉強する時間を削ってでも何かしらの運動をした方が学習効果は高い。
我慢して姿勢を維持する事に集中力を奪われているようでは、
肝心の頭の方に集中力を配分できない。
頭の中は「早く休みたい」という考えでいっぱいである。
脳を鍛えるには運動しかないのだ。

それでは、次回の記事までごきげんよう。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。