1971年アメリカ。
スタンフォード大学の心理学者、
フィリップ・ジンバルドーの下でとある実験が行われた。
その内容はあまりにも非人道的な結果が出た為、
2週間の予定が6日で中止せざるを得ず、
たった一回しか行われなかったが、その一回で充分だった。
もうこれ以上繰り返す必要が無いくらい、ハッキリした結果が出てしまったからだ。
この実験は何を示そうとしたものなのかというと、
普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、
その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験だ。
心理学的に言えば、制度規範(institutional norms)の効果を調べる実験である。
人間の行動は、その人個人の性格ではなく、その人が期待され、担う役割に依存するという考えだ。
警察官は警察官らしく振舞うし、坊さんは坊さんらしく振舞おうとする。
今まで甘えん坊だった子供でも、弟や妹が出来た途端にお兄ちゃんらしく振舞おうとする。
実験は、スタンフォード大学の地下実験室に模擬の刑務所を作り、
被験者を看守役と囚人役の2つにグループ分けし、
それぞれの役割を2週間演じさせる予定だった。
そこで看守役は看守らしく振舞い、囚人は囚人らしく振舞うだろうと予想した。
その予想は正しかったのだが、問題は研究者の予想を遥かに超えて、
実験の続行が不可能になるほど変化が迅速かつ徹底的に現実の物となってしまった事だ。
看守役は誰に指示される訳でもなく、自ら囚人役に罰則を与え始め、
暴力的な行為がエスカレートしていき実験は6日で中止せざるを得なくなった。
ジンバルドーはこう説明している。
(『ヒルガードの心理学』第15版より引用)
「どこまでが現実で、どこからが役柄なのか、大部分の参加者に(あるいは私達にも)、もはやハッキリ解らなくなっていた。大多数は本当に囚人や看守になってしまっており、役割演技と自己とを明らかに区別する事は、もはや不可能となっていた。彼らの行動、思考、感じ方のほとんどあらゆる局面に劇的な変化があった。一週間足らずが過ぎると、これまでの生涯の学習を(一時的に)抹消してしまった。すなわち、人間的な価値観は一時停止され、自己概念は怪しくなり、そして人間性の最も醜く、最も卑しく、病的な面が表面に現れた。ある少年たち(看守)は他の者たちを卑しむべき動物のように扱い、また別の少年たち(囚人)は、脱走の事、自分だけが生き残ること、看守に対して高まる憎悪のことばかり考える、卑屈で人間性のない人造人間となるのを見て、私たちはぞっとした」
この実験は『スタンフォード監獄実験』と名付けられ、
いい意味でも悪い意味でも有名な実験だ。
グーグルで「スタンフォード」と検索すると、
スタンフォード大学やスタンフォード白熱教室に混じって、この実験が検索候補に挙がる。
募集して選ばれた被験者達は、所謂『普通の』人々であった。
思想的政治的に偏った人間ではないし、凶悪な犯罪歴がある訳でもない。
その普通の人達が、いとも容易く残酷な振る舞いをするし、卑屈で人間性の無い生き物となる。
ユダヤ人強制収容所で非人間的な扱いを受けてもなお人間であろうとしたフランクルの様に、
人間はどんな過酷な環境でも自己を見失わずに自己であり続ける事ができる!
・・・・・・・と信じたい気持ちは山々だが、フランクルが歴史に名を残し語り継がれるのは、
それがまず普通の人には出来ない事だからである。言うなれば伝記レベルの偉業なのだ。
環境の力の前では、個人の信念や性格なんぞ一瞬で消え去ってしまうというのが、
このスタンフォード監獄実験が示した事である。
もしあなたが「自分は優しい人間だ」「自分は絶対に暴力を振るったりしない人間だ」と思ってたとしたら、それはそういう環境にいるからたまたまそういう人間として振舞えている、とも言える。
この監獄実験のような環境に置かれたら、いとも容易く暴力を振るう人間になる可能性だってある。
人間不信や自己不振に陥ってしまいそうな絶望的な話ではあるが、
同時にこれは希望的な観点ももたらしてくれる話なのだ。
極悪人として振舞うような環境に居たら誰しも極悪人になってしまうが、
聖人として振舞うような環境に身を置ければ、誰しもが聖人になってしまうという事である。
自分を変えたかったら、理想の自分に変ってしまうような環境を作ればいい。
このブログの数少ない読者の1人であり、
ニコニコ動画で知り合った仲間にツイッターで相談を受けた事があった。
なんか凄い家庭環境で苦しんでいるらしいのでその相談だ。
その時の文末に「なんにせよ、環境に負けてしまっては最期ですよね」と書かれてあり、
そんな環境でなお修行僧の様に自分に試練を課して苦しめようとしていたので、
大急ぎで原稿用紙23枚分のPDFファイルを4時間で書き上げ、
一方的に解決策を送りつけておきました。
こんな短時間でそこまで文章かける様になった自分の行動力にビックリしたものです。
自分の文章書くスピードを測定した事はないが、多分あの時の記録がブッチギリで過去最速。
その時のPDFで環境について書いたのを以下引用。
『「環境に負けてしまっては最期ですよね」とお考えですが、生物は環境には絶対に勝てません。環境には服従しかできないのです。負けていいのです。勝利なんぞ存分にくれてやりましょう。かつての俺は「自堕落になる環境」に囲まれていたお陰で、なんの努力もせずに自堕落な人間になる事ができました。そして今では「行動力に満ち溢れてしまう環境」に囲まれているので、なんの努力もせずにこんなに行動力が溢れる人間になっています。』
その時は2日おきにブログ記事をアップしており、
その僅かな合間に書いたPDFファイルを回答として送りつけていたので、
「こんなに行動力が溢れる人間」という謳い文句は中々の説得力を持っていたと思う。
多くの人が『自分を変える』と考える時、
直接的に自分を変えようと努力をするでしょうが、
そういった努力はおそらく長続きしません。
何故ならどんなに自分を変えても周囲の環境が変っていない限り、
結局は元通りの自分として振舞う事を強制されていまうから。
監獄の中に居る限り囚人役は囚人として振る舞い続け、
看守役は看守として振舞い続けるのというのが、スタンフォード監獄実験が示した事。
個人の決意や信念なんぞ、環境の前では脆くも崩れ去る。
そしてこの実験の被験者は皆、「よし! 自分を変えよう!」と決意して努力した訳ではない。
なんの努力も決意もなく、一瞬で新しい自分になってしまった。
やった事は新しい環境に飛び込んだ事だけ。
「よし! 自分を変えよう!」と決意しただけ変われるんだったら、
誰も人生に苦労したりはしないし、ダイエットに失敗したりしないんですよ。
徒歩1分の所に24時間営業のコンビニがあって、
おやつを潤沢に買える資金もある環境で果たしてダイエットが続けられるのか。
常にブクブク太ったホリエモンだが、刑務所暮らしをしたらなんとも痩せて出てきましたね。
写真の劇的ビフォーアフターを見てビックリですよ。
本人の意志とは無関係に、痩せざるを得ない環境に飛び込んだ結果だ。
刑務所に入ったら、どんな意志薄弱な人間でも痩せざるを得ない。
自分を変える為にやるべき事は、
自分の意志とは無関係に変わらざるを得ない環境を作り出す事だ。
意志力ってのは、この環境作りに使うべきものなのです。
環境を変えず、意志力だけで自分を変えようとするのは困難を極める。
それが出来るのであれば、あなたはフランクル級の名を歴史に残す事になるでしょう。
しかし逆に言うと環境さえ変える事ができれば、自分を変える事はもっと楽な作業になる。
普通の人が何の努力もせずに看守や囚人になれるように。
俺は自動車の免許を取る時、合宿で自動車学校に通ったのだが、
あの合宿というシステムは免許を取る上で実に素晴らしい環境だ。
一日の休みも無く、講義の復習をする時間もあまり無い訳だから、
免許が取れるか不安になって最初の頃に教官に尋ねたらこういう返事が来た。
「あ~、大丈夫大丈夫。合宿の人達って、通っている人よりも合格率が高いし、
殆どが一発合格しているから」と。
そんなもんかなぁ、と思っていたのだが、実際にその通りの事が起きた。
俺も俺の同期も全員一発で合格した訳だし。
なんせ合宿期間というのは、もう運転の事だけ考えていればいいという環境だ。
カリキュラムも全部一方的に決められているので、
日々の生活の予定とすり合わせる事を考える必要もない。
朝一番の講義の時など折角のホテルの朝食を5分でかき込まねばならない不満があっても、
問答無用で従わざるを得ない。俺の意志は無関係で講義に参加させられる。
同期の人間で相性が悪く、やたら俺に突っかかってくる奴がいたので、
「あんな馬鹿な野郎が合格して俺が落ちたら、めっちゃ悔しいし恥ずかしい!」
という環境も相まって、ホテルに帰っても必死で勉強をしていたので、
本当に一日中運転の事ばかり考えていた。
これで合格しない方がおかしいだろ。
ある時講義で、長年務めているベテラン教官がこんなグチを言っていた。
「昔は本当に楽だった。みんな車を運転したくてしたくてしょうがないものだから、
もう独学で全部勉強してくるし、親の車使って運転の練習もしてくるから、
教える事が殆どなくて、こんなに楽して金貰っていいのかなぁと思ってたよ」
もし俺がそんな風に独学で学んでいたとしたら、
絶対に途中で投げ出していたと確信できる。
自分で予定組んで自動車学校に通っていても、途中でサボリがちになっただあろう。
合宿という素晴らしい環境に囲まれてたお陰で、苦労なく勉強に没頭する事ができた。
合宿中に運転の勉強をする事は、出かける時に服を着るくらい当たり前の行為だったからな。
未だに捨てずに持っている教本を、今読み返したら2分以内で放り投げるぞ。
自分を変える時にやるべきなのは、まず環境を変える事。
「どうやったら集中力のある人間になれるのか?」ではなく、
「どうやったら集中せざるを得ない環境を作れるのか?」である。
パソコンで仕事をする時、デスクトップに「ゲーム」というフォルダがあったり、
インターネットのアイコンがある環境で集中するのは結構な意志力を消費しますよ。
ごっそり消すか片付けるか、もしくは専用のパソコンを用意するなりして環境を整える。
部屋の目の付くところに、テレビだのおやつだのマンガだの誘惑が多い環境で集中は難しい。
それらを一切合切捨てる! ・・・・・のが難しいならコーヒー屋なり図書館なりにいけば、
それだけで集中力は増してくる。
「これからはマジメに仕事する人間になる!」と決意したとしても、
自堕落な人間になる環境で働いている限り、その決意は脆くも崩れ去りますよ。
ブラック企業で働いていた当時の俺みたいに。
バイト時代から仕事の時はマジメに取り組んでいた俺が、
あのブラック企業で働いていた時は「いかにして仕事の手を抜くか」ばかり考え続ける様になった。
手を抜いて余力を残さないと、比喩ではなく死んでしまう環境だったのだ。
退職してあの環境から離れた事は、今でも英断だと確信していますよ。
自分を変えようとするのであれば、理想の自分になってしまう環境を作る事。
環境を変える事さえできれば、性格も振る舞いも変ってしまいます。
スタンフォード監獄実験の囚人と看守の様に急速かつ自動的かつ徹底的に。
今現在の自分は、生まれ持っての性格などではなく、
環境からの問いかけに答え続けてきた集大成なのです。
環境を変えるったって具体的にどういう事すりゃいいんだよ、
って質問があったら具体的に書いていきますが、
無いだろうからここでこの記事を終わります。
それでは、次回の記事までごきげんよう。