誰が言ったのかは知らないが、建築の世界では「家は三回建て直してようやく住み易くなる」という主旨の言葉がある。
頭の中でどんなに理想の家を思い描いても、
いざ現実に作って住み始めると途端に不便さが見えてくる。
それらは実際に住んでみなければ解らない事だ。
マンガ「21エモン」にて、宇宙船にトイレが無くてパニックになるギャグがあった。
自家用の宇宙船を手に入れ、準備万端で出発して宇宙のど真ん中でようやく気付く。
そんな致命的な欠点なのに、実際に乗って尿意を催すまで気付かなかった。
流石にトイレの無い家を作ったりはしないだろうが、
今住んでいる家の不便な所を挙げろと言われればいくらでも出せるだろう。
引っ越しする時は「実に素晴らしい!」とどんなに思っていたとしても、
実際に住み始めると理想と現実のズレは如実に出てくる。
文字通り「想定外」の事の方が多い。
「夏があまりにも暑すぎるから次からは涼しい家にしよう」等、それらの失敗をフィードバックさせ、三回建て直してようやく不満が少ない家が出来るという訳だ。
自分の家を作るだけでなく、マンションやアパート暮らしにしてもそうですね。マンションも三回くらい引越してようやく、自分が絶対外せない理想が解ってくるのだろう。
例え家賃が高くなってもいいから、夜中静かな家に引っ越そう、とか。
自分の家を建てるとなったら、それは人生の中でもかなり大きな決断だ。
誰だって失敗したくないから真剣に、とことん考えるだろう。
しかしどんなに頭の中でこねくりまわしても、それには限界がある。
実際に住んでみないと見えてこない不便な部分は山ほどあるのだ。
仮に、だ。
一切非の打ち所が無い、「完全な」理想の家を思い描く事ができたとしよう。
しかしそれは「今現在の」完全な理想であって、
未来永劫完全であり続けるかは解らない。
何故なら生きている以上、人間は常に変化し続けているからだ。
老人になって足腰が弱りきる頃には、
今は何の不便も感じない階段の高さも相当不便になるだろう。
場合によってはエレベーターが必要か、そもそも平屋が理想になるかもしれぬ。
家を建てた時にはいなかった子宝に恵まれて、
沢山の子供部屋が必要になるかもしれぬ
環境だって変化する。
隣に毎晩大音量でギターを弾き鳴らすバンドマンが引っ越してきて、
防音施設こそ家に一番必要な要素だと思うかもしれぬ。
常に人間も環境も変化するのだから、人生の一瞬を切り取り、
一切変化しない前提で設計した図面は文字通り絵に描いた餅でしかない。
だからこそ三回は建て直してようやく「暫定的な」理想の家になる。
目標だの計画だのといった事も、三回は書き直してようやくまともな物になるのでは?
というか、死ぬまでウィンドウズのアップデートに様に絶えず修正を加えて生き続けるのが人生ではないか、と、最近思うようになった。
どんなに完璧な計画を作ったとしても、未来の事は誰も解らない。
自分の立てた計画が正しいのか間違っているのか?
誰もが知りたがる事ですが、これを知る方法は実に簡単です。
やってみれば解る。
たった一言、これが一番誠実な回答ですね。
やってみれば解るし、もっと言うならやってみないと解らない。
誰だって失敗なんてしたくないから、「完璧な」計画を欲しがる。
完全無欠で絶対に失敗しようがない計画が出来るまで行動はしない、
という決断はそれ自体が大きな失敗でしかない。
何故なら「完璧な計画」なんて物は存在しないのだから、
そんな物をいくら欲しがったって手に入るはずも無し。
引き寄せの法則をマスターした人でも存在しない物は引き寄せられませんよ。
先ず、未来の事等誰も解らないのだから、全ての計画は絵に描いた餅でしかない。
いや、そんな事はない! 全ての情報とそれを解析する知能があれば未来は解る!
という考えを、専門用語で「ラプラスの悪魔」といいます。
しかし全ての情報を集める事もそれを解析する知能も人間業ではない。
そうでなかったら天気予報が外れるはずが無い。
どんな不完全な計画であれ、どこかで妥協して一歩前へ踏み出す決断をしなくてはいけない。
その決断について書くのが今回の記事の目的です。前置き長ぇなオイ。
前置きは長いですが、書きたい事は一言なので一瞬で終わります。
生きてる限り常に決断を迫られる。
人生を左右する様な決断から日々の些細な決断まで。
「あの時あんな選択をしたばかりにこんな大変な思いを!」
みたいな事には誰だってなりたくないだろう。
だからこそ決断は難しいし、間違った決断なんてしたくない。
では、正しい決断を下すには何が必要か?
これは実に簡単に示す事が出来ます。
正しい決断とは、「素早い決断」の事です。
決断の内容は実は関係ありません。
素早く決断を下しているか否か、それだけです。
もう一度言いますが、正しい決断とは「素早い決断」の事です。
だからこれさえ押さえて置けば、いついかなる時でも正しい決断を下す事ができます。
いつまでも決断を下さず、延々と悩み続けるのはそれ自体が不毛な作業です。
そんな事に貴重な時間とリソースを注いでいたら、
肝心の問題解決に注げるエネルギーが枯渇してしまう。
人間の脳と言うのは、答えを見つけるまで止まらない性質があります。
例えばです。物忘れというのがありますね。
「あれ、あの芸能人の名前なんだったかしら?
ほら、あの人よあの人。だからあの人だってば!
そうそう最近映画出演も決まって連日特番組まれてて、
覚えてないの? だから、あの面白い髪型してて!
あ~~なんかノドまで出掛かっているのに。
あの人よ! あの人!」
ウチの母親と話すと頻繁に起きる出来事です。
この手の「ノドまで出掛かっているのに」という物忘れの経験は誰にでもあると思う。
必死で思い出そうとしてもなかなか出てこない。考えても考えても解らない。
しかし諦めて完全に忘れた頃、数時間数日たった頃に、
なんの前触れもなくいきなりふと思い出す。
「ああ、思い出したわ」と。
この忘れていた間も、脳内では必死に検索を続けています。
パソコンのランプがカチカチ光ってCPUがフル回転している状態です。
未解決の問題はいつまでも頭に残り続けるこの現象を、
心理学用語では「ツァイガルニク効果」といいます。
脳は答えを出し、完結するまでその機能を止めません。
ですから、悩んでいる状態というのは何もしていない様に見えて、
実は物凄いエネルギーを消耗しているのです。
脳が答えを求めてフル回転しているので、凄く疲れます。
これは実感として理解できますよね。
これが体だったら実に解り易い。
一日中ランニングしてたりスイミングをしてたら、
それは目に見えて疲れが解る。
しかし悩みで脳のリソースを消耗している状態というのは、
はたから見ても自分自身でもよく解らないし実感できない。
悩んでいる人に行動力が無いのは当たり前の事なのです。
行動する為のエネルギーが最早スッカラカンになっているのだから。
脳は答えを見つけるまで、決して休む事はありません。
では、もし答えが存在しない問いを立てたとしたら?
それは、延々と貴重な脳のエネルギーを使い続ける事を意味する。
一時たりとも休む事なく。
未来の事は誰にも解らない。
そんなラプラスの悪魔を求め続ける問いに人生を捧げたら、悪魔に翻弄される人生が待っているだけだ。「ラプラスの悪魔」に「悪魔」という単語を入れた名付け親のネーミングセンスは抜群ですね。実に上手い事を言ったものである。
だからこそ、悪魔を断ち切る為にも素早く決断する必要がある。
「この事についてはもう考えなくてもいいぞ」と、しっかり脳に教えてやる。
それでこそ問題解決に注げるエネルギーが手に入るってもんだ。
いざ行動してみると、今度は答えのある問いが見つかり、そこにエネルギーを注げる。
この計画はちゃんと目標を達成できるか?
やってみれば解る。だからさっさと決断するべし。
そもそもこの目標は本当に自分が欲している物なのか?
やってみれば解る。だからさっさと決断するべし。
そしてここからが肝心な所だが、
さっさと行動に移して、さっさと失敗するべし。
冒頭でも書いたとおり、実際に家に住み始めてようやく不具合が見つかる。
それは実際に住んでみないと絶対に解らない事だ。
それと同じように、行動してみて始めて計画や目標の不具合が見つかる。
それが解ったなら修正すればいい。
決断し、行動し、不具合を見つけたら修正する。
このサイクルの繰り返しを延々繰り返しいく旅路だ。
家でさえ三回は建て直すのだから、
しかるをいわんや人生をかけた目標や計画においておや。
決断しないにしても、延々悩み続ける事だけは避ける。
それはラプラスの悪魔に翻弄されるだけだ。
「○○について調べるまでは決断しない」とか、
「○○さんのアドバイスを聞くまでは決断しない」とか、
しっかりと、決断しない事を決断して問いを完結させておく事。
モヤモヤしたまま脳のリソースを消耗させない。
パソコンをずっと起動させたままでいるとフリーズしてしまう。
悩み続けている脳というのは、起動したままでフリーズしたパソコンと同じ状態だ。
どんなに頭の中で悩み続けたって未来の事は解らない。
だからこそさっさと行動に移して、さっさと失敗して、失敗を解決する事にエネルギーを注げる「素早い決断」こそが人生において正しい決断です。
間違うのが嫌だから決断はしない、というは悪魔の囁きに翻弄された最大の間違いだ。
それでは、次回の記事まで御機嫌よう。