最近筆者の周囲では「思考は現実化する」についての記事を書くのが、
ちょっとしたブームになっている。
乗るしかない、このビッグウェーブ。
個人的にも色々思う所のあるテーマなので、書いておきたい。
書く事と考える事の関係について、ショーペンハウエルは実に上手い比喩で表している。
ペンと思索の関係は、杖と歩行の関係に等しい。
強靭な足腰の持ち主は自分の2本の足だけで歩く事が出来るが、
弱ってくると杖を使わなくては歩く事ができない。
それと同様に、強靭な頭脳の持ち主は自分の頭だけで考える事が出来るが、
そうでない場合はペンを頼りに思索を進めていかねばならない。
当然私は自分の頭だけで考える事が出来るがねグワハハハハという、
ショーペンハウエル特有の選民思想的な笑い声が良く伝わってくる。
俺も自分の頭だけで考えられるようになりたいが、
まだその域には達していないので、考える時はペンやキーボードが必要。
今回の記事を書いた目的は何かというと、あくまで自分の考えを整理する為。
何か主張したい事がありそれを伝える為に書き始めた訳ではないので、
書き終わる頃にはどのような結論になっているのか自分でも解らない。
しっかり考え抜いてから記事を書こうと思っていたのだが、
それだといつまでも思考がグルグル回っていつまでも書けそうになかった。
だったら考える過程をそのまま記事にしておこう。
悩んでいる時は紙に書く、ってのが悩んでいる時の原則。
頭の中だけで考えていると、いつまでも思考がジャグリング状態で終わらない。
何も結論が出ない割りには頭は酷く疲れる。
だからジャグリングをやめて、お手玉を一旦机の上に並べる事が必要。
書き終えて客観視してみれば、色々主張の穴も見えてくるから、
それを埋めるための記事も書けるようになるし。
「おいおい、しっかり考え抜いてから記事にしてくれよ」と言いたいかもしれませんが、
まあまあそう言わんといて。一緒に考えていきましょうや。
あっちに行ったりこっちに行ったりでどこに向かうか解りませんが、
お付き合いいただければ幸い。
何か思うところがあったらコメントをどうぞ。
さてさて、何から書いていきましょか。
まずは「思考は現実化する」の言葉そのものからか。
この言葉はいい意味でも悪い意味でも有名なナポレオン・ヒルの著書のタイトルですね。
原題は「think & grow rich(考えて金持ちになろう)」なので、
あくまでも訳者がつけたタイトルであり、本書の中に書かれている言葉ではない。
この訳者も毀誉褒貶激しい人ではあるが、今回は触れない。
そこら辺の周辺事情についてまで書くと、
とても記事一本では足りず連載シリーズが書けるくらい長くなる。
昔深く関わってきた身の上なので。
この本は潜在意識を利用した成功哲学の源流である。
潜在意識を利用した成功哲学というのは、
「強く思った事は現実になる」とか、
「豊かさを願えば豊かになり、貧しさを願えば貧しくなる」とか、
「ポジティブシンキングで人生は変わる」とか、
潜在意識に願望を植えつければ現実になるという教え。
他の有名所でいうとジョセフ・マーフィーとかノーマン・V・ピールとか。
最近では引き寄せの法則と言うらしい。
あなたの思考は現実化するから、
失敗ではなく成功する事だけを考えましょうという、シンプルな教え。
この手の本の特徴は何かというとだ。
それを書く為に、ちょっと中国古典の話を紹介します。
出展はどこだか忘れてしまったが、話の内容だけは覚えている。
とある人物が、絵描きに向かって質問をしました。
「描くのが簡単な絵は何ですか?」
「簡単なのは幽霊や妖怪の絵だな」
「なら、描くのが難しい絵は?」
「犬や馬の絵だな」
「それは何故?」
「簡単な話さ。
幽霊や妖怪を見た事のある人間はいないから、
適当に描いても『これは幽霊の絵だ!』と言えばそれで通る。
しかし犬や馬は、皆本物を見た事があるから誤魔化せない」
例えばモノマネとかでもそうですね。
誰もが知っている有名人のモノマネは実に難しい。
これを利用して笑いをとる手法が、時々笑点で見られる。
木久扇師匠が無茶なネタフリをされる時だ。
「きくちゃん、織田信長のモノマネやって」
「私が織田信長であ~~る」
「似てるかどうか解んねーよwwww」
「じゃあ、やらせるなよ!!」
映像でこの笑いを伝えられないのが実に残念だ。
誰も見た事がない人間のモノマネはやり放題ですね。
宇宙人のモノマネとか。
話が脱線してきたので、強引に戻す。
上記のエピソードで何を伝えたかったのかというと、
この手の成功哲学の本は言うなれば「幽霊や妖怪の絵である」という事。
何かを主張するのであれば、
根拠を明確にしなくては真偽の判定は出来ない。
主張と根拠はセットである。
しかしこの手の本で著者が主張を述べた場合。
「それが潜在意識のメカニズムなのです」とか、
「大宇宙の法則によりそのようになっています」とか、
「神はそのような力を人間に与えたからです」とか、
否定も肯定もできない根拠に基づいて述べられている事が多い。
言うなれば、どんな突飛な事でも言い放題という訳だ。
もはや幽霊や妖怪の絵と変わらない。
どんな主張をされても、「そうですか」としか返す言葉が無い。
正しい事を言ってるかも知れないし、著者の勘違いや思い違いかも知れない。
そしてその真偽を判定する方法は無い。
勘違いや思い違いならまだしも、
都合のいいように読者を操る嘘をついてるかもしれん。
嘘も方便みたいな善意の嘘なのか、悪意の嘘なのかの区別も付かん。
だから、この手の本を読むときは特に注意して読む必要がある。
確固とした実体験や理性で真偽を判定できないのであれば、鵜呑みにしてはいけない。
読む時だけではなく、書く時も気をつけねばならないと自分に言い聞かせている。
実は筆者はこの手の本は、結構肯定的に捕らえている。
過去の自身の成功体験を振り返ってみてみると、確かに本に書かれている通りだったな、
みたいな経験がそれなりにあるので、頭っから否定している訳ではない。
じゃあその成功法則を利用して今ウッハウッハな人生を送っているのかというと、
全然そんな事はない。
あくまでも過去の説明はつくだけであって、
未来にどうやったら成功できるのかという事については、
成功本を読んでも良く解らないので、他のブログみたいに、
「さあ、あなたもこれを読んで一緒に成功しましょう!」
みたいにアフィリリンクを貼ったりはしませんよ。
ブログで本はいずれ売るかもしれませんが、売るべき本しか売るつもりはないんで。
そんな風に結構肯定的に捕らえている人間なんで、
ついつい地に足着かない勢いで書いてしまう可能性もある。
実際に不思議な体験した事が結構あるのだ。
何故か「これをやれ!」という心の声が聞こえて、それをやったら見事に成功したとか。
他人から見たら絶対に無理という事でも、
「多分出来るでしょ」と何故か根拠もなく信じて疑わず見事成し遂げた経験とか。
本気で取り組んだ途端に、思わぬところから「蜘蛛の糸」の如き救いがきて、
障害が一瞬で消えさった経験とか。
あ、大丈夫ですよ。
こんな話をしたからと言って、あなたに撫でると健康になる壷とか、
拝むと運気がムクムクと上昇する仏壇を売りつけたりはしないのでご安心下さい。
この手の不思議な体験を自分の中だけに仕舞っておく分には何の問題もないが、
誰かに伝えるというのであれば、誰もが経験しているであろう事や理性をベースにした、
共通の土台の上に構築する必要がある。
そうでなかったら、幽霊の絵なんだから何でも言い放題だ。
別に自分のブログなんだから、
好き放題書きなぐってもいいではないかと思われるかもしれませんが、
それをやってしまうと俺が大ッ嫌いなネットで政治を語る人種と同類になってしまう。
専門家でないと解らない事、語る資格が無い事というのがあるのですよ。
ところが、こと政治というジャンルについては、
何の専門知識もなく勉強もしていない大衆が、
居酒屋で得た結論を国家に押し付け、全国民に押し通そうとする。
数学や科学等は、間違った事を言ったら即皆から間違いを指摘される。
しかし政治は、いくら間違いを指摘されようとも「うるせぇバカ黙れ!」で自説を押し通せる。
だからネットには、天下国家を語る人々の罵りあいで溢れかえっている。
現代はお手軽に大衆が反逆する時代なので、
貴族の矜持としてそのような品格のない振る舞いをせぬように戒めたい。
政治に関しては、ホッブスもルソーもロックも難しくてまだ読めない俺には沈黙あるのみ。
孔子曰く、「その位(くらい)にあらざれば、その政(まつりごと)を計らず」である。
孔子だっけか? まあ、とにかく論語からだな。
と言うわけで、
好き放題に言いまくって自説を押し通すというのは、
極めて乱暴で品格の無い振る舞いだと考えるのですよ私は。
潜在意識を活用した成功本を読み解いていくには、
行動経済学の見地がとても有効に使えそうな気がしている。
ファスト思考とスロー思考の内のファストの方。
努力とは無関係に自動的に働くこのファスト思考の理解があれば、
潜在意識を活用してどうたらとかいう方法は詳しく説明できそうだ。
行動経済学は、誰もが自分で実感できる実験をベースに構築されているので、
幽霊の絵にならずにすみそうである。
行動経済学はまだ齧った程度なので本腰入れて勉強しておきたいが、
しっかり勉強して理解して他人に解り易く説明しようとしたら、
1ヶ月くらいブログの更新がなくなりそうなので、
こうして現時点での考えを書き始めた訳だ。
そこら辺の説明はその時になってからするとして、
今現在書ける事があるとしたら、
タイトルにも書いた「信じれば夢は叶うのか?」という事についてだ。
というかここまで書き進めてようやくタイトルが決まった。
心が強く信じた事は現実になる、というのがこの手の本の教え。
夢を現実に変えるには、それを心の底から信じる事が必要だと。
「信じれば現実になる」という言葉の真偽についてですが、
特に間違った事を言っている訳ではありません。
正確にいうのであれば、特に意味のある事を言っている訳でもありません。
ただ当たり前の事を言っているだけなんですよ。
意味のある事を言っている訳ではないというのは、どういうことか?
例えばだ。
「三角形には3つの角がある」とか、
「白鳥は白い」とか、
「ピアニストはピアノを弾く」とかみたいに、
主語を分析するだけで述語が得られるカントのいう所の分析的な判断の事です。
特に意味のある事は言っていませんね。
「だから何?」と突っ込まざるを得ない。
「信じれば現実になる」という言葉に意味が無いのは、
「信じている事=現実」だからです。
そもそも信じるとはどういう事なのかの説明をしておきましょう。
全ての人間が信じている事がある。
それは人種や国籍や属している宗教で左右されない。
ジャングルの奥地に住んでいる民族も、
アスファルトジャングルに住んでいる都会人も皆同様に信じている。
俺もそうだし、読者のあなたもそうだ。
それは何かというと、
「太陽は明日も昇る」
という事。
白夜になる極地に住んでいる人は若干違うかもしれないが、
それでもいつかまた日は昇るという事を「信じて」いる。
太陽は明日も昇る。
何を当たり前の事言っているんだと思われるかもしれませんが、
それって本当に当たり前の事ですか?
ヒューム曰く、
「石を落として床に落ちても、次もそうなるとは限らない」
今度石を手放したら、天井まで浮かぶかもしれない。
過去の経験から未来を決定する事は出来ない。
つまり、「絶対」は無いって事だ。
今まで見てきたカラスが全て黒かったからといって、
全てのカラスは黒いと結論付ける事はできない。
明日になったら白いカラスが発見されるかもしれない。
因みに白いカラスはもう既に発見されている。
太陽は今日も昇ったし、昨日も昇っていた。
一年前も昇っていたし、自分が生まれた時からずっと昇り続けている。
そこから帰納法によってこれからも太陽は昇り続けると信じている訳だが、
実際には昇らないかもしれないのだ。
それにも関わらず「信じて」いる。
仮に明日から太陽が昇らなくなったとしよう。
そこで「もう太陽は昇らなくなりました」というニュースがテレビで流れたとしたら、
聴いた人は皆一様にこう叫ぶはず。
「信じられない!」
ってね。
ありえない! 何かの間違いだ! 悪質なデマだ!
現実にはありえない! そんな事信じられる訳ないだろ! と。
信じているというのは、このレベルの思考です。
それが起きるのが「当たり前」で、
起きなかったとしたら「ありえない!」と叫んでしまうレベル。
要するに「現実」の事です。
スポーツ等で、勝利が決まった瞬間選手がガッツポーズで大喜びをする。
何故喜ぶのかと言うと、負けるかもしれないと考えていたからです。
自分の勝利が100パーセントだと「信じて」いなかったから喜ぶ。
100パーセント勝つと信じていたら、
「勝って当たり前じゃん」という淡々とした態度になります。
大人の貴方が、体重20キロの子供と相撲をしたら勝つに決まっています。
そこで子供を負けして「うぉぉぉぉぉ! やった! 勝ったぞーーーー!」と、
オリンピックの優勝選手並に絶叫して大喜びはしませんよね。
「勝って当たり前でしょ」と自分が勝つ事を100パーセント信じている。
太陽が昇って絶叫する人はいない。「ああ、今日も朝日が眩しいわ」ぐらいの感想だ。
成功者ってのは、成功する事を「信じて」いるから成功者な訳だ。
失敗したとしたら「え? 何で!? ありえない!!」と叫んでしまうレベル。
子供に相撲で負けたとしたら、本気で驚いてしまいますよね。
あなたが子供に相撲で勝てると100パーセント信じられるレベルで、
自分が成功する事を信じられるのであれば、それは成功する。
いや、これは正確な言い回しではないですね。
そんな事を信じられる時点でもう既に成功者な訳です。
じゃあ、どうやったらそういう風に信じられるようになるのか?
その為のノウハウが書かれているのがその手の成功本のはずなのだが、
それを読んで成功する人はあまりにも少ない。
考えられる原因は2つある。
1、本に書かれている事が間違っている。
2、読み手の解釈が間違っている。
どちらかが、もしくは両方が間違っている。
正しい本を選んで正しく読みましょうとしか言える事はないですね。
そう言っている自分も100パーセント正しく読めているなんて「信じて」いませんが。
ネットを見渡してみると「1億円手に入ると信じたのに、全然手に入らなかったぞ!」
みたいなコメントを見かけるが、本当に信じていたらそんな事言うはずが無いではないか。
ひたすら妄想すれば現実に起きる? そんな事が起きるはずがない。
俺がどんなに「明日太陽は昇らない」と呪文の様に唱え続けようが太陽は昇る。
試しにあなたとギャンブルをしてもいい。
明日太陽が昇ったら俺の勝ち、昇らなかったらあなたの勝ち。
俺は100パーセント勝つ事を信じているので、
全財産どころか全ての金融機関や知り合いから借金してでも、
集められるだけの金をかき集めてきます。
お客様、お客様の中に医者や弁護士など高額所得の方はいらっしゃいませんか?
もしあなたが100パーセント信じていたとしたら、
それは必ず「行動」に反映される。
現実を変えたかったら行動あるのみである。
ひたすら部屋の中で妄想してたり、「俺は出来る!」と呪文を唱え続けても、
現実は何も変わりやしない。
俺が上のギャンブルの勝利をちょっとでも疑っていたとしたら、
「今月はちょっと厳しいから・・・・」みたいにお小遣いレベルの掛け金になっている。
集められるだけの金を集めるなんてぶっ飛んだ行動は絶対しない。
もしあなたが1年以内に1億円稼げると「信じて」いたとしたら。
銀行から1000万借りる事に何の躊躇いもないはずだ。
それが出来ないって事は、信じていないという事でもある。
ちゃんと返せるかなとか、
利子が膨れ上がって人生破滅しないかななんて心配するはずが無い。
信じていれば必ず、信じているに相応しい行動をする。
もし現実を変えたいのであれば、自分の信じている事を変える必要がある。
信じている事=現実ですからね。
今少し考えてみたのだが、
信じている事を変えるには4つのステップが必要だと思った。
1、今現在の自分が何を信じているのかを知る。
2、そしてその信念はどのようにして形成されたのかを知る。
3、どうすれば新しく自分の中に信念を形成できるのかを考える。
4、どのような信念を形成すれば、自分の望む人生になるかを考える。
思いつきをサラッと書いたが、どれもしんどくてメンドクサイ事である。
この労力を省く為に他人の成功本を読んだとしても多分成功しない。
自分の成功法則は、自分で作るしかないのだ。
自分がどの様な事を信じているのかを知らずして、
他人の成功法則を学んでも多分効果は無いのではないか。
さて、最初に書いた通り特に何らかの結論を出した訳ではないが
今回の記事はここら辺で終了にしておきます。
あくまでも自分の現時点での考えを整理する為のものだったし。
しかし目に見える形にしてきた事によって、
書く前には思いもしなかった新しい書きたい事が見つかってきた。
例えば自分の信じている事を知るにはどうしたらいいのかという記事も書いておきたい。
それでは、次回の記事までごきげんよう。