ヒーローとして生きよう

サラッと前回の復習をしておこう。
進化の為にかけるべきストレスの条件は2つあると書いた。

ひとつ目は、自分の限界値ギリギリを攻める事。
ふたつ目は、あくまでも自主的・能動的にストレスをかける事。
限界値を越えると進化が追いつかず恐竜の様に絶滅してしまう。
そしてあくまでも自分の意思でやる。他人からやらされたのでは効果が薄い。
トレーニング代わりに肉体労働をやるとしても、
「やりたくねぇけど仕事だから仕方ねぇな」と思って嫌々やるのと、
「こんな重い物を運べる上にお金まで貰えるなんて!」と思ってやるのとでは、
効果と疲労度が全く違う。

自分の意思で行うことは心理学的にも良い影響を与える。
自分の人生を自分でコントロールしている実感がある人程、
人生に対する満足度が高いという心理学の実験結果がある。

自分を支配しているものは何か?
それが会社や上司や家族や学校や国や地域など、自分の外にある場合。
その人は常に不満を垂れ流す事を強いられる。
不満を言っている人の言葉を良く観察すると、その人が何に支配されているのか良く解ります。
自分で自分をコントロールしている人は不満を垂れ流す必要が無い。
会社に不満があるなら会社を辞めればいいし、国に不満があるなら国を出ればいい。
辞めるも自由、残るも自由。
そんな状況で他人に文句を言うのは、結局自分に文句を言うのと同義だし意味が無い。
文句があるならやらなきゃいいじゃんかで話は終わりだ。

そして、自分の意思で自発的に行動し始めた瞬間。
その瞬間にあなたは自分の人生のヒーローとなり、ストーリーが動き始める。
他人が用意した台本ではなく、ようやく自分の台本で生き始める事が出来るのだ。

ヒーローの条件は自発的にアクションを起こすこと。そのアクションがストーリーを前進させる。
映画やマンガなどでよく見られる欠点は、物語の終盤になっても主人公が受身の存在で、
他人の力を借りて危機を脱する事だ。
ヒーローの行動は能動態で表現すべきもので、受動態では表現しない。
「挑戦させられる」「守られる」「戦わせられる」キャラにヒーローの資格は無い。
それは脇役の行動だ。ヒーローは自らの意思で危険と責任を負う。

ヒーローの他の条件は、学び成長する事にある。
登場人物が沢山入り乱れるストーリーだと一体誰が主人公なのか解らなくなる時があるが、
そういう場合は最も学び成長する人物を見つける事。その人物が主人公だ。
ヒーローは今のままでは乗り越えられない困難や苦境に立たされる。
それを乗り越える為には学び成長する事だ。
ここ最近の記事で書いている、迷ったらキツイ方を選ぶという話にも関連してます。
あえてキツイ方を選ぶ事により、爆発的な変化を自らに課すのだ。
どこからともなくやってくる試練を待つ必要は無い。
自分で自分に困難な状況を作ればいい。

ストーリーの序盤でヒーローは住み慣れた日常世界から、
危険が渦巻く特別な世界へ旅立つ事になる。
自分から冒険へ旅立つケースもあるが、
本人の意思とは無関係に強制させられるケースが殆どだ。

タブーである伝説の剣を引き抜いたせいで住み慣れた村を追い出されたりだとか、
無実の罪で警察に追われたり、ギャングに狙われる身になったりだとか、
ウサギの後を付いていったら不思議な国についてしまったとか。

問答無用で日常世界に戻ることが出来なくなり、
特別世界で生き抜いていく為のルールを学び、成長する事を迫られる。
迷ったらキツイ方を選ぶという教えは、
自分の意思で住み慣れた日常世界を脱して不思議の国に旅立つ事を意味する。
連れて行ってくれるウサギが目の前に現れる事を、株を守りながら待つ必要は無い。
いつでも自分の意思で飛び込むことが出来る。
その瞬間、あなたはヒーローとして急激に学び成長する事を強いられるだろう。
キツイ方を選んだ瞬間、あなたは自分のストーリーのヒーローになる。

ヒーローの語源はギリシャ語の「守り仕える」事である。
主人に仕え羊を守る牧羊犬の様に、自分の命よりも大切な物に仕え人々を守るのがヒーロー。
自分の欲望が一番大事な人間はヒーローにはなれない。
ヒーローは時に自分の命を投げ捨ててでも大切な物を守る。
自分の人生さえ諦める事ができる自己犠牲の精神こそ、
ヒーローをヒーローたらしめている条件だ。
勿論これは、誰かに強制された事ではなく自分の意思で能動的に行う事だ。
先にも書いた通り、受身の存在はヒーローではありえない。

自分よりも大切な物の為に、自分の欲望の優先順位を下げる事ができる。
これも以前の成功の記事で書いていた事に関連しますね。
成功したかったら、それよりも大切な物を見つけてそっちの優先順位を上げる。
自分の成功は一旦脇に置いといて、成功より大切なものに打ち込む。
これこそヒーローの条件なのです。
自分の欲望の為に成功しようと考えている人間はヒーローたりえない。

成功本を読んで勉強している時、大切な誰かの為に読んでいませんよね。
大切な家族や恋人が苦しんでいてなんとかして幸せな人生を送らせてやりたいとか、
世界の貧困で苦しむ人間をなんとかして救ってやりたいとか。
その為に、自分の時間と金を犠牲にして必死で勉強している人間はまずいない。
頭にあるのは、豪邸に住んで札束で人の頬を叩いている自分の姿だけ。
だから成功しないんですよ。
そしてそんな自分の欲望が最優先の人間にヒーローの資格は無い。

そしてその記事内ではやりたい事をとことんやれと書いたが、
やりたい事をやりたいだけやれるのは、その人がヒーローだからこそやらせて貰えるのだ。
自分の欲望の為ではなく、大切な誰かの為にやっているからこそ許される。

今は休止しているが「江頭2:50のピーピーピーするぞ」というネット番組があった。
エガちゃんが深夜ラジオのノリでタブーお構いなしに喋るネット番組だ。
その中のリスナーのお悩み相談のコーナーで、とある母親からの悩みがあった。
自分の息子がすぐに服を脱いでチンチンを見せてくるので困っている。
どうやったら脱ぐのを止めさせられるかという質問だ。
こんな質問をエガちゃんにする時点で今後の展開に思わずワクワクしていまうが、
やはりエガちゃんの答えはぶっ飛んだ物であった。

「その子が脱いだ時、周囲のみんなは笑うのか?」
「え、あ・・・、はい。笑いますけど――――」
「だったらいいじゃねぇかぁーーー!」

「もし俺が脱いだ時、誰も笑ってくれなかったら、俺、ただの犯罪者だよ」
「みんな笑うんだったら、何の問題も無いじゃねぇかーー! むしろ脱げ!」

そこら辺の人間が脱ぎ出したら逮捕されて終わりだが、
エガちゃんが脱いだら喜ぶ人が多いので、その喜ぶ人達の間では許される。
日本人全員が喜ぶのであれば、日本中どこで脱いでも許される。

エガちゃんは自分の欲望の為ではなく、皆を笑わせる為に脱ぐのだ。
もしこれが「人前で脱ぐと超気持ちいいんだグヘヘヘヘ」だったとしたら、
お前のゆがんだ性癖に俺たちを利用すんじゃねぇクソ野郎! で終わってしまう。
自分の欲望の為に他人を利用するエゴイストはヒーローではない。
字義通り、エゴイストとはヒーローの対極の位置にある。

ヒーローとして生きるには、ここ最近の記事に書いてある事を実践すればいい。
今回の記事はここ1週間の総まとめになりますね。

ヒーローは他人に強制されるのではなく、能動的に行動する。
ヒーローは住み慣れた日常世界を飛び出して、あえてキツイ世界に飛び込み成長する。
ヒーローは自分の欲望を犠牲にして、自分より大切な物に仕える自己犠牲の精神の持ち主。
誰かに強いられて犠牲になるのではない。自分より大切な物を守る為に自分の意思で犠牲になる。
これは最近の記事で書いた「その為に生き、かつ死ねる様な理念」に従って生きるという、
極めて実存主義的な生き方をしているという事です。
ヒーローは実存的なのだ。

別にヒーローになってしんどい人生なんか送りたくない。
そこそこの人生を生きていければ満足だ、という人もいるかもしれない。
それはそれで一つの生き方ではあるが、その生き方はかなり難しい物になると思われる。
何故なら現代は「そこそこの人生」という中間層がごっそり抜け落ちた二極化の時代だからだ。
「そこそこ」を目指そうとしても、目指すべき場所が存在していない。

自分の人生を自分で全てデザインする人生か、
誰かがデザインした人生に一挙手一投足支配される人生か、この二極しか存在しない。
「そこそこ」を目指したら、自動的に自分の人生を全て他人に決められる層に落ちていく。
そこは常に自分を支配している何者かに、不平不満を垂れ流し続けねばならない世界だ。

折角だったらヒーローとして自分の物語を生きてみませんかというお話です。

それでは、次回の記事までごきげんよう。

コメント

  1. 工藤悠太郎 より:

    いつも素晴らしい文章有難うございます。
    そしていつも熟読させて頂いています。

    お久しぶりです、昨年杉野さん主催の
    脱凡人の集いでご一緒させて頂きました工藤と申します。

    facebookの方にメッセージをお送りしたので
    ご確認頂けますか?
    宜しくお願いいたします。

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