自分の中にある出せるもん出してカラッポになってくると、無性に勉強がしたくなってくる。
というか多分、一旦出し切らない詰め込みだけの勉強は消化不良になる。
食べたものを出さない便秘の状態で何かを食べても苦しいだけだ。
一切アウトプットせずにインプットの勉強ばかり続けるのは、思考の便秘状態である。
ガンガン食ってガンガン出す循環状態こそ健全なあり方であろう。
殆どの栄養は吸収されずに排泄されてしまう訳だが、それでいいではないか。
元々動物はそういう風に出来ていない。
本を読んで勉強する時「なんらかの有益な情報を手に入れてやろう」という考えは、
ここ最近のブログの文脈で言えば、進化ではなく上位互換を目指そうとする考えだ。
「今の自分は100の情報しかないが、この本で105になりあの本で112になり――」
と、RPGのレベル上げの様に直線的な成長を思い描いており、
それによって100しか情報が無い人間を引き離し、
200の情報がある人間を追い抜いてやろうという考え。
しかしそういう考えの持ち主がどうなっていったのかは、進化の歴史が示している。
過酷な生存競争に巻き込まれ、自分の上位互換が現れると同時に淘汰されていく。
自分は沢山の情報を「持っている」というのであれば、
もっともっと沢山の情報を「持っている」人が現れた途端にお役御免だ。
そして現代では人間が絶対に敵わない上位互換が登場してしまった。
偉大なるグーグル先生の誕生である。
如何なる情報でも、マウスを数回クリックするだけで届く距離にある。
記憶力、検索能力、情報処理能力。それら全てが人間の上位互換。
俺自身は「あれ、あの故事成語の出展は何の本だったかな?」という事で、
グーグル検索を使う事がある。
「ああ、そうそう『戦国策』に書かれてたんだ」みたいに。
蔵書として持ってるし、何回も読んだことがあるのにグーグルで調べているという。
忘れなければいいんだろうが、忘れても特に問題が無くなってしまった。
昔は「生き字引」とか「情報通」という人間に価値がある時代があったのであろうが、
解らない事があったら皆スマホ取り出してネットにアクセスする時代に、
ただ情報を頭に詰め込んでいるだけの人間に価値があるのだろうか。
上位互換が存在するのに旧式の物に頼る必要は無い。
昔は手帳に電話番号を記録したり暗記したりしたのであろうが、
現代人は果たしてどれほどの電話番号を暗記しているであろうか。
ケータイ・スマホを無くしてしまった途端、全ての連絡網が断たれる人だらけだ。
若い世代だと、公衆電話で自宅に助けを求める事すら出来ない人が多いだろう。
そもそも公衆電話の使い方を知らないらしい。
俺の世代が「となりのトトロ」に出てた壁についてる電話の使い方を知らないように。
穴に指入れて回す電話の使い方ならまだ知ってます。
全ての電話番号を完璧に記録出来るケータイがある時代に、
わざわざ手帳に書き込んだり脳のリソース使って記憶する事に意味は無い。
それと同様にグーグル先生が3秒以内に必要な情報を見つけてくれる時代に、
情報を所有する為に本を読む事にどれほどの意味があるのか。
情報収集のために紙の本を使うのは極めてコストパフォーマンスが悪い。
検索機能がついていないし。
そんな時代にわざわざ本を読む意義があるとしたら、
頭に負荷をかけて自分を進化させる事にある。
かなり昔に同様の事を書いたが、今回はそれに最近のブームである進化という要素を加えてみた。
上位互換になるのではなく、ストレスをかけて全く別の考えをする全く別の人間になる。
この考えに到れば、読むのが遅くて読破数が足りない焦りが一気になくなるのだ。
本を読んだ冊数というのは、何気に余計なプレッシャーを与えてくる。
自分もあんな風になりたい、と思える人の話を聞いていると、
皆一時期死ぬ気で本を読んで勉強している時期があるのだ。
部屋を埋め尽くす蔵書の写真を見ると圧巻の一言である。
自分の蔵書を振り返って見ると全然足りない。
一応それでも買い続けているので数だけは増えていく一方であるが、全然読めていない。
焦って読んだはいいが、結局何も頭に情報が残っておらず絶望する。
しかしこれは元々無理な事を自分に要求していた訳だ。
読んだ情報を全部頭の中に残しておくなど人間業ではない。
人間業で無い事は人間ではない機械に任せておけばいい。
情報を得ることではなく、得た情報で何を生み出すかが肝要だ。
「あの人は何千冊と読んでいる。チクショー負けるもんか!」と考え、
上位互換を目指そうとするのは過酷な生存競争の道。
しかも現在は最上級の上位互換であるグーグルのネットワークがある。
どう足掻いても勝てないし、そもそも勝負してはいけない。
上位互換ではなく、進化する為に本を読む。
そう考えると、冊数は特に気にする必要は無くなる。
他の人より沢山の情報を「持っている」かどうかはどうでもいい。
ストレスをかけて自分を進化させるのが目的なのだから、
脳がヒートする様なクソ難しい本を1ヶ月でも2ヶ月でもかけて精読すればいい。
勿論、速く読んで沢山読めればそれに越した事はないが、こうした遠回りこそ最短の道である。
頭を鍛えていれば、結果として速く沢山読める様になるはずだから。
これは、今現在チンタラ本を読んでいる自分に言い聞かせる為の言葉でもある。
いずれ速く読める様になるはずのその日まで、
「これで本当に大丈夫かな」と心の片隅で囁いて、
数時間で読破できて冊数を増やせる楽なビジネス書とかを読みたくなるだろうから。
でもこれらは読んだ気にはなれるが、何のストレスもかからないので何の進化ももたらさない。
自分は勉強が全然足りてないという事が解りすぎて、
自発的に読みたい本が山ほど沸いてきた状態でありながら、
あえてゆっくり読む事にしたのでもどかしい。
もどかしいが、これが進化の為には必要不可欠だと信じて進むのみ。
それでは、次回の記事までごきげんよう。