奪われた人生の主導権を取り戻す

今回取り上げたいのは、たった3つのルールだ。
自分で自分をコントロールし、人生の主導権を取り戻すシンプルな3つのルール。
理解するのは一瞬だし、実践するのに特別な訓練も必要ない。
日常生活を送りながら実践するだけでいい。
如何に今まで自分以外の何かに自分を動かされてたか、不自由な人生だったかに気付くと思う。
この3つのルールに従う事が自由への第一歩だ。

意志力を発揮するにはカント的な自由が必要だと以前に書いた。
そしてカント的な自由とは、自分が決めたルールに自分で従う事だ。
それこそが人間にのみ許された唯一の自由である。
どんなルールでもいいとなると、何をやっていいのか解らないだろうから、
参考までに3つ程考えてみました。
勿論、このルールに従うかどうかを決めるのは読者であるあなた自身ですけどね。
それでは、前置きはここらで切り上げさっさと書いていきましょか。

ルール1、『走らない』

街中の歩行者用横断歩道では、
赤信号になりそうになると大急ぎで走り出す人達が溢れている。
しかしこれは自分の意志で「走っている」のではなく「走らされている」のだ。
彼らは何故自分が走っているのか自分でも解っていない。
それは思考を介さない自動的な反応だ。
ベルの音を聞いただけで涎を垂らす犬と何も変わらない。
青信号が点滅したら自動的に走らされている事に気付いていない。

冷静に考えて見ましょう。
赤信号で待っている時間が勿体無いから走るという理由があったとして、
走った事で何分の時間が節約できるというのでしょうか?
大急ぎで走っている人々が、こち亀の中川の親父やロシアのプーチンの様に、
1分1秒を惜しんで活動している人間だとはとても思われない。
赤信号で待ったとしても精々5分。
そのたった5分の損失を惜しんで、人生の主導権を失う事の方がよっぽど損失が大きい。

信号機に「走らされて」間に合わず、信号待ちをする事になろうものなら、
待つのではなく「待たされて」、挙句の果ては「イライラさせられて」。
全ての主導権は自分以外の何かに譲り渡していて、自分で決められる事が残っていない。
世の中に起きる全ての事にパブロフの犬の如く自動的に反応する。

信号機が『主』で走らされる人が『従』だ。主従関係が逆転している。
しかも自覚していないが、自分から主導権を譲り渡して奴隷となる事を選んでいる。
ご主人様が「走れ」と命令すれば走るし、「待て」と言えば待つ。
フリスビーを投げれば喜んで口で咥えようとする日が来る事はそう遠くない。

自分から自分の主導権を譲り渡す人達で溢れている。
電話が鳴ろうものなら、今の自分の作業を大急ぎで中断して、
「ハイハイ」と叫びながら最優先で電話の元へと走り出す。
電車が発車する時刻に間に合いそうにないと、全力で走り出して駆け込み乗車をする。
小雨がポツポツ降り出しただけで、一目散に走り出す。
これら全ての例は、自分の意志で走っているのではなく、走らされているのだ。
あなたが走るかどうかを決めるのは、あなたではない『何か』である。
その『何か』が決めた命令に、ラジコンの様に従うだけ。
どこにも主導権なんかありやしないスピノザ的な世界観。

電話が鳴ったからといって走り出すのは、
あなたにとっては電話があなたの人生の主人公だからだし、
電車に間に合わないからと言って走り出すのは、
あなたにとっては電車の方があなたの人生の主人公だからだ。
あなたの人生にとって、あなたの存在は脇役でありモブキャラに過ぎない。
そんなストーリー見てて楽しいですか? しかも一日24時間。

人生に主導権を取り戻すトレーニングのその1は『走らない』です。
勿論これは、車に轢かれそうになってもノンビリ歩いて怪我をしろという意味ではないですよ。
そうではなく、自分の意志以外で『走らせられる』のを辞め為さない、という意味です。
毎日のランニングが日課の人は、これからも主体的にトレーニングを続けて下さい。

これを意識した途端、今までどれだけ『何か』に走らされていたのか気付くと思います。
電話が鳴った時、遅刻しそうになった時、スーパーのレジで行列の短い列を見つけた時、
電車や休憩室のイスが空いているのを見た時、愛しの恋人に電話で呼び出された時。
あなたを走らせている物が、あなたの主導権を握っています。
それを取り戻す為のトレーニングです。

もしこのトレーニングが「毎日10キロのランニングをしろ!」みたいな苦痛を課す物だったら、
殆どの人が出来ずに終わるだろうが、これは全く逆。
何かをやるのではなく、今までやっていた事をやめるだけなので、体力的には逆に楽です。
「走らなかったら、間に合わずに大変な事になってしまう!」という強迫観念を持っているなら、
一度じっくりチェックして見て下さい。
よ~く観察してみると、困るのは実はあなたではなく、あなたを走らせている『誰か』ですよ。
その『誰か』はあなたが走ってくれないと困るので、あなたにあれこれ言ってきます。
それに気付いたら、バカバカしくて走ってられなくなると思いますがね。
そんな訳で、人生の主導権を取り戻すルールその1は『走らない』です。

ルール2、『喋らない』

次のルールは『喋らない』です。
とは言っても、これは何を聞かれても死んだ貝の様に、
一切口を開くなという意味ではありません。
それでは仕事は出来ないし、良好な人間関係も壊れてしまう。

そうではなく、口を開く前に
「これは本当に良好なコミュニケーションに必要な会話なのか?
 それとも単に自分の気晴らしやストレス発散の為に喋るのか?」

と常に問いかける習慣を持てという事です。

殆どのおしゃべりは、コミュニケーションを円滑にする為ではなく、
自身の不安・孤独・苛立ち・不満・寂しさ等を他人に擦り付ける為に行われる。
あなたがこれらの感情をコントロールできない度合いに応じて、
おしゃべりの時間は増え続ける事になるでしょう。
これまたパブロフの犬の如く自動的に口を開く事になる。

だから口を開きたくなった瞬間に常に問いかける。
「これは本当に話す必要がある事なのか?」と。

その結果、あなたの言葉からは余計な脂肪がそぎ落とされ、
骨太で力強い言葉のみが発せられる事になるでしょう。
「あの人の語る事は全て重要だ」と周囲から認識され、発言力も増す。

あまり喋らなくなるとコミュニケーションが取れなくなると心配するかもしれませんが、
実際には逆で、以前よりも良好な人間関係が築かれる事になります。
話すことが少なくなった事により必然的に聞き役に回る機会が多くなるし、
相手を傷つける『余計な一言』が無くなるので、関係も破綻もしない。
自分が言いたいことを抑える自制心が無いために、
どれだけの人間関係が破綻しているかを鑑みればこれは良く解るかと。

あなたがどんな言葉を発するかは、全て自分の意志で主体的に決める。
今まで『自動的に』『感情の赴くまま』『気が付いたら』話していたのが、
話す言葉は全て重要で、深みのある必要不可欠な言葉になる。
話す機会が減る事により、自分と対話する時間も増えるでしょう。
自己との哲学的な対話の重要性は今までの記事で散々書いてきた通り。

このトレーニングは、副産物が多すぎてとても書ききれない。
これは是非、自分でやってみて素晴らしさを体験して欲しい所です。
人から話しかけられると「何か言わなきゃ!」と強迫観念に襲われて、
思いつきで喋っては後悔ばかりしている人ほど効果的かと。
あなたが何を喋るかは、全てあなたが決定するべき事なのですよ。
人生の主導権を取り戻すルールその2は『喋らない』です。

ルール3、『解釈しない』

この『解釈しない』ってのが一番実践するのが難しい事ですね。
逆に言えば、これが出来る様になればあなたの人生は激変します。

この『解釈しない』というのはどういう意味かというと、
「あいつが怒ったのは育ちが悪いクズだからだ」とか、
「あいつに仕事を任せても、どうせ失敗するに決まっている」とか、
先入観に凝り固まった解釈を控えるという意味です。

事実と解釈を別々に扱う。事実は事実、解釈は解釈。
例えばだ。大好きな女の子にメールをして返事が来ないと不安になる。
何故そうなるかというと、事実との間に解釈が挟まるから。
「もし好きな人からメールが着たらすぐに返事をするはずだ」と考え、
そうしないって事は、俺は嫌われているのでは? と不安になる。
今までの連絡用メールではすぐに返事がきたのに、
好意をほのめかすメールにした途端にこれって事は・・・・・・・・・・。

しかし事実はそうではない。
事実は、メールを送ったが返事が来なかった。ただそれだけ。

本当にそれだけ。

この事実を単なる事実として眺める訓練をしましょう、という提案だ。
解釈を加えるのは、その後ニュートラルな状態になってからだ。

このトレーニングを続けてみれば気付くと思うが、
今までの自分がどれだけ自動的に解釈を行って来た事か。
しかもその様な解釈の場合、自分で解釈したのではなく、
誰かが植えつけた先入観や感情に流されるまま解釈を自動的に行っている。
自分で選んだ行為ではない。

極めつけは、最早単語を聞いただけで先入観に満ち満ちた解釈が出てくる。
「政治家」と聞けば、汚いことやって金だけ持っていく悪の権化だし、
「不倫」ときけば、人間として最低の行為であるし。
マスコミはその事を良く解っているから、実に簡単に世論を操作できる。
ニュースを見るときは、事実と解釈を別々に見る様にしましょう。

このトレーニングを続けると、他人の言葉にいちいち振り回されなくなる。
俺が良く言われる言葉がある。
「字が汚い人間は心が汚いんだよ」とか、
「仕事が雑なのは、性格が雑だからだ」とか。
まあ、聖人君子でない事は自覚しているので強くは否定しませんが、
これらの言葉が事実と解釈をごっちゃにしている例ですね。

事実は、俺の手書きの字は汚いという事だけで、
心が汚いというのはそう言っている人間の勝手な解釈だ。
もはやこんな事を言われても論理的に飛躍があり過ぎて意味不明です。
意味不明すぎて首を傾ける事しかできない。
こういう事を言われて怒ったり落ち込んだりする理由が無い。

何かに失敗した時、
「俺が失敗したのは、馬鹿で駄目な人間だからだ」
というのもそうですね。
事実は何かをやって失敗した。本当にただそれだけ。
事実と解釈をごっちゃにしているから落ち込んだりウジウジしたりする。
でもそういう人は、俺は超有能だ! と解釈してガンガン突き進める可能性があるから、
トレードオフでどっこいどっこいかもしれません。
でも今の自分はニュートラルな醒めた状態で淡々と行動したいので、
解釈しない方に重きを置いてますがね。

この『解釈しない』というのは、
これだけで長々記事を書けるし書く必要があるので、
今回はここで終了しておきます。
これは本当に自分で効果を実感して欲しい所です。
人生の主導権を取り戻すルールその3は『解釈しない』です。

本当にシンプル過ぎる程シンプルなルールです。
しかしその見返りは絶大だ。
特別なトレーニングの時間を設ける事無く、日常で実践できる。
こんな単純な事で、と思うのであれば是非試してみて下さい。
その単純で誰にでも出来ることで『奪われ続けた』人生の主導権を取り戻せるのです。

ルール1、『走らない』
ルール2、『喋らない』
ルール3、『解釈しない』

それでは、次回の記事までごきげんよう。

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