問題解決のスタート地点

悩みがあれば市場は動く。
世の本屋には、あなたの悩みを解決する為のノウハウ書で溢れている。
コミュニケーションのノウハウや仕事のノウハウや恋愛のノウハウまで。
「何を」「どのように」すればいいのかの指南書だ。

しかし、何か問題が起こった時に「どうすればいいんだ」と真っ先に解決策を考えるのは、
順番が逆だし、多分まともな解決策は出てこないと思う。
考える土壌ができていないからだ。
土台となる足場をしっかり固めておかないと、どんなノウハウも砂上の楼閣になってしまう。
次から次へとノウハウ書を買いあさるノウハウ難民の誕生だ。

大事なのは「何故?」を問うことであって、「何故」さえ解っていれば、
「何を」「どのように」というのは自動的に導き出せる。
この「何故?」と問うことは、植物が根っこを深くまで生やす作業にあたる。
しっかり根を張っていれば、あとはほったらかしでも豊かに実る。
いきなり「どうすれば」と問うのは、根っこを生やさず豊かな実りを期待する様なもの。
凄い貧弱な果実が出来るだろうし、簡単に木が倒れてしまうだろう。

例えば、会社を辞めたいと思ったとしよう。
そこで真っ先に「どうやったら会社を辞める事が出来るか?」と考えても、
高確率で碌な答えは出てこない。
そうではなく、まずは「何故会社を辞めたいのか?」と問うこと。
その問いに、次の一手となるヒントが必ず隠されている。

会社を辞めたいとして何故辞めるのか?
朝起きるのが辛いからか? 嫌な上司に苛められるからか?
部下を背負う責任に耐えられないからか? 仕事がつまらないからか?
給料が少なすぎるからか? 他に魅力的な会社があるからか?
自由時間が無いからか? 往復3時間の通勤が嫌だからか? 

これらの「何故?」を具体的に掘り下げれば掘り下げる程、
「何を」「どのように」すればいいかは格段と見つけやすい作業になる。
もし原因が長すぎる通勤時間だった場合、近場に引越しすればいいという事になる。
引越しするのは嫌だ! という場合は「何故」引越しは嫌なのかを掘り下げる。
掘り下げれば、解決への糸口は見えてくる。
場合によっては引越しする必要すらなくなるかもしれません。
何故通勤時間が長いのは嫌なのか? 
と掘り下げた結果が、自分の勉強時間が無くなるから嫌だった場合。
それならipod買って、勉強用の音声入れて通勤すれば、
通勤時間の電車や車の中が書斎になる訳だ。

何をするべきかは、何が原因なのかによって千差万別である。
場合によってはたった一言「部署を変えてください」と頼むだけで、
一気に悩みが解決して毎日充実した仕事が出来るかもしれない。
実は自分にとって素晴らしい会社である可能性だってある。
それなのにいきなり「どうやったら会社を辞めれるのか?」と考え、
碌なアイディアも出ないまま強引に退社したら、
その素晴らしい会社という恩恵まで失ってしまう。

この「何故?」と考え続ける事はかなりの意志力を必要とし、しんどくてキツイ事なのだ。
硬い地面を突き破って根を伸ばし続けるしんどさだ。
この辛い作業から逃げたい一身で『答え』を教えてくれるノウハウ書に飛びついても、
あなたの問題はおそらく解決しないでしょう。
あなたの問題は、あなたにしか解決出来ません。
あなたが何をするべきかは、あなたの問題の原因は何かによって決まるのです。

「どうやったらテストでいい点が取れるんだ?」と考えるのではなく、
まずは「何故テストでいい点を取らなくてはいけないのか?」と考える。
それが親に怒られない為なのか、ライバルに負けない為なのか、
大学に入学する為なのかで、取るべき行動は全く変わってくる。
場合によっては、勉強してる暇があったら運動しろ! って解決策が出るかもしれん。
大学にはスポーツ推薦という枠もある訳ですから。

「何故?」さえ解っていれば、「何を」「どのように」は自動的に導き出される。
いつまでも頭を抱えてどうしようどうしようと悩むのは、問題を具体化していないからです。
「何故?」と掘り下げていき問題を具体的にすればするほど、やるべき事ははっきりしてくる。
悩みってのは、具体的にできた時点で半分以上解決しているのですよ。
なら残りの半分は何かというと、出てきた解決策を淡々とやる事。行動する事です。
行動に移せないという事は、具体化が足りないからなので、もう少し掘り下げてみましょう。
行動できるレベルにまで細分化できれば、後はやるだけです。

この細分化という事に関してはあらゆるビジネス書で言われている事ですね。
しかし、それを読んで早速真似してみても多分上手くいかなかった人の方が多いのでは。
俺は上手くいきませんでした。
何故かというにあくまでも「何を」やるかを細分化したに過ぎないのがビジネス書でいう細分化だ。
500ページの本を一気に読むのは無理でも、1日5ページずつ読めば、
3ヶ月ちょっとで全部読めるよね、という機械的な細分化である。
機械的にバラバラにされた行動では、それらの一つ一つに意味を見出せない。

「そこに意味があるのであれば、人はいかなる困難にも耐えれるほど強い」
と、ユダヤ人強制収容所を耐え抜いたフランクルは言ったが、その肝心の意味が全く見出せない。
何故俺はこんな事をやっているのだろう? という疎外された状態。
例えていうならば、一体自分は何を作っているのかさえも解らないまま、
ひたすらベルトコンベアーに部品を加え続けててなんかの機械を作っている工場労働者の気分だよ。
そんな非人間的な作業を続けれらる程人間は強くないのだ。
近代合理主義の落とし子であるビジネス書は、人間を機械として扱う実にグロテスクな書物である。

それに対して、しっかりと「何故?」を掘り下げて細分化していった場合、
一つ一つの行動に意味があり全てが有機的に繋がっている実感がある。
意味を見出せないならば、それはまだ掘り下げが足りないから。
もっともっと考えて、もっともっと生みの苦しみを味わってください。

大事なのは、「何を」「どのように」やるかではなく「何故?」やるか。

それでは、次回の記事までごきげんよう。

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